昭和は遠くなりにけり

古代に思いを馳せ、現在に雑言す。・案山子の落書・

♪.九段坂坂ノ上通信発

今年もほとんどの与党の議員が靖国神社に参拝していたようですが、… もしかすると憲法改正法案の次は靖国法案かもしれません。 国家のしこりがアジアのしこりとならない様に気をつけねば、… これはだいぶ前の葛城村チンプイ放送から聞こえていた御隠居さんと…

平成六無斎友の会のご案内。

何処から見ようと、私は貧しい爺ちゃんです。朝日に照らされようと、夕日に照らされようと、私は貧しい爺ちゃんです。 今はすすき野となった休耕田に立つ一本足の案山子です。日がな一日枯れ芒を見て暮らす案山子です。 思えば、あざみ野のひまわり娘と別れ…

狐拳。

葛城山より人の世を見ていますと、人の歴史はイジメの歴史とでも呼べそうでございます。イジメが何故起こるのか、それは分かりませんが、弱者が強者をイジメたという話はまだ聞いたことがございません。ただ、時代によって弱者も強者も変わっていっているよ…

日本国憲法のエンブレム。

古い話でございますが、長ったらしい話でございますが、お爺の話でございますが。聞くところに拠りますと、ブログユーザーの老齢化が進んでいるとか。しかし、記事の老化は未だだと聞きます。そうしますと、このブログがその記事老化の栄えある第一号かと。 …

月一も無ければバッチャンネル。

これは、一番最初のブログ、名付けてクモの巣ブログを運営していた頃の記事です。こうした記事がこれ以降何度か続きますが、クモの巣を掃除するつもりでお読みください。 ✎...............................................................................…

♪.平成瓦版狐狸庵通信発。

隣の芝生は良く見えるとか、隣の嫁さんは何とかとか、隣とは境界を接しているだけに何かと問題が生じるようでございます。これも随分と古い話ですが、葛城村チンプイ放送から聞こえていた御隠居さんと葛城山彦との会話です。 ☊.............................…

内容のご案内。

被災地の報道番組を見ていますと、不運にもめげず、また愚痴等もこぼすこともなく復旧に勤しんでいる人々のいかに多いことよと、…。私のように年中愚痴をこぼしている者には、誠に頭の下がる光景です。 以下に載せる記事は、前前前ぐらい前のブログでの挨拶…

決まり事。

ひとことで申し述べることの出来ることではございませんが、文武天皇の三年、夏も初めの頃、故なくして伊豆へ流されてはや千数百年、一人の踊り子ともめぐり合ったことのない私にも、役君小角の他人事コーナーという春がやっと巡りまわってまいりました。 ✎.…

原則を軽んずるプロは素人にも劣る。

五輪エンブレムの盗用疑惑。古い話でございます。長ったらしい話でございます。しかし、ここに社会が抱える矛盾の一断面が見えているように思います。暇ならどうぞお読みください。 ✎.....................................................................…

貧しきは、我一人。

夜道は明るく道理に暗いが永田町。 一昔、いや二昔も前になりましょうか、消費税の更なる値上げの時に思わず私の口をついて出た言葉でございます。 それにしても増税の効果でございましょうか、今夜の永田町は以前にも増して一段と明るくなっているようでざ…

♪.TPP通信発

最近TPPという言葉を聴かなくなりました。どうやらトランプ政権発足後に、日本が推進するTPPが行き詰ってしまったようです。しかし、これとて元を正せば、最初はアメリカが一方的に日本に押し付けていたものなのです。 今、大騒ぎをしていたその当時を…

平成雑言 始めましたの段。

今回より、平成雑言というカテゴリーを取り入れることとしました。 平成の世も残りわずか。 平成の世の尽きる前に、 昭和の世に育ち損ねたひねくれた老人の雑言、 吐き出しておきましょうか。 それにつけても、昭和はますます遠くなっていくようでございます…

§42 不改常典とは十七条憲法。。

推古天皇元年に聖徳太子が摂政になってからを普通飛鳥時代と呼びます。それより前は古墳時代ですから、言うなれば推古元年は泥の時代から金色に輝く仏像と歴史を記す文字の時代へと移り変わろうとする、正にその飛鳥時代の幕開けの年に当たると。 思うに、飛…

§41 推古天皇こそ、故を温ね新しきを知る道標。

大化の改新に明治維新に、そして何とか維新の会。古いものを新しく見せたがるのが古来からの人の性というものなのでしょうか。それともそういった新しいものを疑うのが私の性というものなのでしょうか。 そういうわけで、『日本書紀』は私から見ると、どうし…

§40 天武天皇と法隆寺。

断家についてrikorikoシェスタさんはその感想をブログで述べていました。我が家も私の代で断家となりますが、私は六無斎ですので、当初から断家についてはあまり考えたことはありません。また、そういうわけで墓参りにもあまり行ったことはありません。そろ…

§39 『古事記』の中の法隆寺。

現在の理が過去の理に勝る。『日本書紀』を読めばたいていの場合そう言えなくもありません。例えば、孝徳も文武も正確には軽王であって軽皇子ではありません。しかし、文武の場合は『日本書紀』編纂の時点では元明天皇の皇子となります。この現在の理により…

§38 儀鳳暦と大射。

十三夜に十五夜に十六夜、そして二十三夜。これらは全て月の呼び名です。ただし、これらの呼び名が成立するためには定朔の暦が出来ていなくてはなりません。 定朔の暦の最初は戊寅元暦と呼ばれているものです。ただ、時期尚早というか、これは後に平朔の暦と…

§37 朔旦冬至と即位、そして大嘗祭。

人は、夏の暑い日には日陰を好み、冬の寒い日には日向を好みます。もしかしたら、私達にとって、『古事記』と『日本書紀』とはそう云うものなのかも知れません。 また、人は、作物や草花を日向には植えても、日陰には植えません。そのせいか、庭の日向は決ま…

§36 大嘗祭の最初は持統天皇か。

飛鳥から木簡が出土し、大化の改新の詔の信憑性が疑われ出してから久しくなります。しかし、大化の改新そのものを疑う人は未だ居ないようです。まして、壬申の乱を疑う人はさらに居ないでしょう。しかし、改新の詔を疑う以上、大化の改新そのものをも疑うと…

§35 天武紀の道標、大嘗祭。

『日本書紀』を読んで思うことですが、『日本書紀』は支配する側の論理によって書かれていると。 しかし、こうも思います。すなわち、これを書いたのは支配される側の人達であると。したがって、ここには支配される側の論理もあると。 思いますに、『日本書…

§34 国津神は歌い、天津神は歌わず。

随分と昔のことですが、私は中学の修学旅行で立ち寄った神社で初めて御神籤を買いました。しかし、それが吉だったか凶だったかは今はもう憶えていません。それに、たとえそれが吉であったとしても、アイスキャンデーのおまけ当たりほどの喜びがあったとも思…

§33 倭建が背負ったもの。

建前と本音。心中はNoであるのに、Yesと返事をしてしまう。裏と表を使い分ける。今もそうだとは申しませんが、これが一昔前の日本人でした。しかし、これぞ陰陽の極意。狭い日本のことです、裏と表を使い分けてこそ狭い日本も広くなるというもの。 神功と景…

§32 ワケの系譜と天智天皇九州死亡説。

天孫の系譜は天照より始まります。いや、正確には須佐ノ男と天照との兄弟げんかより始まりますとするべきかもしれません。なぜなら、旧約聖書にも人類の系譜が兄弟げんかより始まると記されているからです。思うに、人類の争いの系譜をたどれば兄弟げんかに…

§31 欠史8代、物語10代。

神功を卑弥呼と見做し、『百済記』との間に120年のずれを生じさせた『日本書紀』。後世はこれにどう対処すればよいのか。そもそも『日本書紀』は神功を肯定しているのか、それとも否定しているのか。 思うに、興にも武にも当てはまらない雄略を倭の五王の時…

§30 日本書紀の中の道標。

不老不死や神仙の思想が古代の日本に入り込んでいることは、「記紀」やそのほかの物語等にそうした思想の産物としての物語が見出せることから確かなことと思われます。しかし、そうだからと言ってそれらの著述者がそうした思想を信じていたかどうかはまた別の…

§29 竈の煙と天命。

ねたみそねみは人の世の常ですが、「記紀」はこれを臆面もなく取り上げて、うわなりやこなみや、挙句のはてには天皇までも揶揄し、あるいは誹謗したりもしています。聖帝仁徳もこれに関しては形無しのようです。 仁徳天皇について、太安万侶は序文に 烟を望…

§28 雄略と宋。

専門家に解けない謎は素人にも解けない。それが一般的な常識というものなのでしょうが、素人からすれば、専門家に解けない謎は素人でなければ解けない、というのが常識なのです。 私事で恐縮ですが、私はかつて友人と一人の女性を張り合ったことがあります。…

§27 秦氏の出自。

地震に大雨、そして争い。ある日突然住み慣れた土地を離れなければならなくなる時があります。古代においても現代においても世界のどこかの一角で常に起こっている悲しい歴史の繰り返しでもあります。歴史は、我々に何を教えようとしているのだろう。 古代は…

§26 船氏と大化。

史部の設置は雄略の時代に遡ります。雄略紀には何人かの史の名が載ってはいますが、史の任命記事はありません。史の任命記事の初出は欽明紀にあります。欽明14年、王辰爾が船史の姓を賜ったとあります。また、同30年、王辰爾の甥の膽津が白猪史の姓を賜った…

§25 船氏の道標。太安万侶の道標、その25。

古墳は巨大なモニュメントである。しかし、古墳が我々に語りかけることはなく、大きな沈黙のままに横たわっている。我々に語りかけるのは、決まって歴史家であり考古学者でありそして政治家である。しかし、誰の墓かと尋ねれば、政治家以外は決まって沈黙を…