昭和は遠くなりにけり

古代に思いを馳せ、現在に雑言す。・案山子の落書・

2017-01-01から1年間の記事一覧

§30 日本書紀の中の道標。

不老不死や神仙の思想が古代の日本に入り込んでいることは、「記紀」やそのほかの物語等にそうした思想の産物としての物語が見出せることから確かなことと思われます。しかし、そうだからと言ってそれらの著述者がそうした思想を信じていたかどうかはまた別の…

§29 竈の煙と天命。

ねたみそねみは人の世の常ですが、「記紀」はこれを臆面もなく取り上げて、うわなりやこなみや、挙句のはてには天皇までも揶揄し、あるいは誹謗したりもしています。聖帝仁徳もこれに関しては形無しのようです。 仁徳天皇について、太安万侶は序文に 烟を望…

§28 雄略と宋。

専門家に解けない謎は素人にも解けない。それが一般的な常識というものなのでしょうが、素人からすれば、専門家に解けない謎は素人でなければ解けない、というのが常識なのです。 私事で恐縮ですが、私はかつて友人と一人の女性を張り合ったことがあります。…

§27 秦氏の出自。

地震に大雨、そして争い。ある日突然住み慣れた土地を離れなければならなくなる時があります。古代においても現代においても世界のどこかの一角で常に起こっている悲しい歴史の繰り返しでもあります。歴史は、我々に何を教えようとしているのだろう。 古代は…

§26 船氏と大化。

史部の設置は雄略の時代に遡ります。雄略紀には何人かの史の名が載ってはいますが、史の任命記事はありません。史の任命記事の初出は欽明紀にあります。欽明14年、王辰爾が船史の姓を賜ったとあります。また、同30年、王辰爾の甥の膽津が白猪史の姓を賜った…

§25 船氏の道標。太安万侶の道標、その25。

古墳は巨大なモニュメントである。しかし、古墳が我々に語りかけることはなく、大きな沈黙のままに横たわっている。我々に語りかけるのは、決まって歴史家であり考古学者でありそして政治家である。しかし、誰の墓かと尋ねれば、政治家以外は決まって沈黙を…

§24 大王の系譜を篩う。

すべての物事を陰陽的に捉える。これは決して好ましい態度ではありません。しかし、小さな砂粒にさえ影があるように、物事は意外なほど陰陽的に出来ています。 さて、陰陽は捉えかたによっては相反するものが同時に存在して一見矛盾しているように見えます。…

§23 王朝の入れ物、大王墓。

道標は迷うことなく目的地に着くためのものです。そのためには先ず目的地をはっきりと決める必要があります。私の当面の目的地は見瀬丸山古墳です。そのためには、とにもかくにも河内大塚山古墳にたどり着く必要があります。そして、そのためには大仙陵から…

§22 古墳群の中の道標。紀の中の道標。

古墳の年代を決めるのは副葬品である。副葬品の中で最も有力視されるのが、土師器や須恵器である。では、土師器や須恵器の年代を決めるものは何か。 最も確実な方法は、年代のはっきりしている奈良時代の土師器や須恵器から遡ることである。しかし、仮にそれ…

§21 古墳の分岐点。

『隋書』や『日本書紀』等が歴史の入れ物なら、墳墓は何の入れ物なのだろう。死者の歴史か、それとも単なる過去か。最近、年を取ったせいか過去のいやな記憶は思い出さなくなり、都合の好い記憶だけを選ぶようになりました。思うに、人の脳も何らかの入れ物…

§20 歴史の分岐点。

太安万侶の道標、素人の案内でかえって道に迷ったかもしれません。実は、斯く申す私も陰陽の道に太安万侶の道標があるのか、それとも太安万侶の道標に陰陽の道があるのかが分からなくなってしまいました。しかし、それはどちらでも好いことです。歴史の道を…

§19 陰陽という入れ物。

古代人はすべてのものを陰と陽とに分けました。転じれば、すべてのものが陰と陽とに分かれるとなります。前章では太陽を陰と陽とに分けて、八咫烏と金鵄をそれぞれ太陽と月とにしました。それなら、月を陰と陽とに分ければどうなるのか。あるいは、そう皮肉…

§18 朝廷を形作る数。

十や百には、充分あるいは一杯という意味での言葉、十分や百足るがありました。8はどうでしょう。今風には、腹八分目に医者要らずでしょうか。8には、丁度好いという意味もあるのかも知れません。なにせ八卦占いは丁度好いのに限りますから。相撲の "ハッ…

§17 神仙、風門がつなぐもの。

とにもかくにも、8は大きな数を表わす。また、そうした意味で古代人がこれを使ってきたことは確かなことです。しかし、古代には百足る、あるいは百足らずという言葉があります。そして何よりも、十分という言葉が今日にあります。そもそも現実の場面では、…

§16 形としての8。

今日、いや昔から我々は8を末広がりの縁起のいい数として捉えています。しかし良く考えてみれば、これは八という漢字が大陸から伝わって以降のことであり、日本古来からの捉え方ではありません。また、「記紀」にしても8を、八十、八十万、八百万といった、…

§15 八卦と8。

造化三神に別天津五神、果ては神世七代。「記神話」は欲張りである。それにひきかえ中国では三皇五帝で終始しています。 思うに、太極と両儀とで簡単に三神が出来ますが、四象を五神とすることは簡単には出来ません。「記神話」が苦労をしたことだけは確かでしょ…

§14 八卦の生成と記紀神話

陰陽には善悪も醜美も喜怒もありません。しかし、森羅万象を陰陽二元論で説く古代人は、万物を陰と陽に分けました。したがって、善をも悪をも醜をも美をも当然分けたはずです。そして陰をも陽をもです。 八卦の生成と記紀神話 陰を陰と陽に分ければどうなる…

§13 八卦の象徴と三爻の中の陰陽 

八卦のそれぞれの自然の象徴、天、水、山、雷、風、火、地、沢が中国の地勢に適った方位に組み合わされていることは前章で述べました。したがって、そのほかの象徴、家族や性情や身体等の組み合わせにおいても無理のない関係が見出せるはずです。そこで、今…

§12 八卦方位図が示すもの。

安万呂の道標に従って思うままに進んではまいりましたが、不手際や説明不足、さらには書き漏らし等が目立ってきているようです。そこで、今回はそれらの中でも特に矛盾めいた事柄について少し補足をしておきたいと思います。 八卦方位図と自然 陽と揚。陰と…

§11 太安万侶の道標、

藤原京が教えるように、古代日本は古代中国の理想を忠実に実践をしてきた観があります。しかも、安万呂の道標が示すように、陰陽思想は日本独特の発展を既にこの時点で遂げてもいます。思うに、こうしたことが可能だったのも陰陽思想が日本の自然の理に適っ…