昭和は遠くなりにけり

古代に思いを馳せ、現在に雑言す。・案山子の落書・

2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧

§41 推古天皇こそ、故を温ね新しきを知る道標。

大化の改新に明治維新に、そして何とか維新の会。古いものを新しく見せたがるのが古来からの人の性というものなのでしょうか。それともそういった新しいものを疑うのが私の性というものなのでしょうか。 そういうわけで、『日本書紀』は私から見ると、どうし…

§40 天武天皇と法隆寺。

断家についてrikorikoシェスタさんはその感想をブログで述べていました。我が家も私の代で断家となりますが、私は六無斎ですので、当初から断家についてはあまり考えたことはありません。また、そういうわけで墓参りにもあまり行ったことはありません。そろ…

§39 『古事記』の中の法隆寺。

現在の理が過去の理に勝る。『日本書紀』を読めばたいていの場合そう言えなくもありません。例えば、孝徳も文武も正確には軽王であって軽皇子ではありません。しかし、文武の場合は『日本書紀』編纂の時点では元明天皇の皇子となります。この現在の理により…

§38 儀鳳暦と大射。

十三夜に十五夜に十六夜、そして二十三夜。これらは全て月の呼び名です。ただし、これらの呼び名が成立するためには定朔の暦が出来ていなくてはなりません。 定朔の暦の最初は戊寅元暦と呼ばれているものです。ただ、時期尚早というか、これは後に平朔の暦と…