昭和は遠くなりにけり

古代に思いを馳せ、現在に雑言す。・案山子の落書・

2019-01-01から1年間の記事一覧

§4.「記紀」の脊椎、下つ道を下る。

「記紀」の編纂にあたって、安万呂はまず何をしたのでしょうか。幸いなことに、彼はその手掛かりを後世のために残しております。序文には、彼が『古事記』を撰録するとき、稗田阿礼をその道案内としたと書いております。その稗田阿礼が手がかりなのです。 稗田…

§5.投馬國を取り除け。

周知のように、倭人伝は魏志の東夷伝の中では意外とも言えるほど字数の多い記事内容となっています。このことは陳寿が倭を特別視していることの表れと見えます。従って、前回で述べたような陳寿の意図があるとしたとしても、強ち見当外れとはならないはずで…

§48.斑鳩文化圏と法隆寺の創建。

さてお気付きのように、図.47bでは定説に違えて法隆寺の瓦を一番最初に掲げました。それは、もし法隆寺が川原寺の後に出来た寺ならば、おそらく法隆寺式の瓦と言うよりも斑鳩文化圏そのものが存在しなかったと思われるからです。なぜなら、川原寺に続く薬師…

うやむやの関。

私が生まれた時代、飛鳥に都があった時代ですが、その当時関と言えば、不破関(美濃)、鈴鹿関(伊勢)、愛発関(越前)の三つを指しました。それがテレビの当世風時代劇の見すぎなのでしょうか、いつのまにか、関と言えば先ず箱根の関所を思い浮かべるようになって…

敗戦国日本。(どこ吹く風 d12 社会と意識)

勝てば官軍、負ければ賊軍。この言葉ほど明治維新と直結した言葉はない。言葉の意味は、たとえ道理に合わなくとも、戦いに勝った者は正義となり、負けた者は不義になるということ。そして、明治維新で薩長土肥軍に負けた幕府軍が噛み締めた言葉でもある。 ✎.…

ランキングサイト。

最近、健康食品メーカーの大幅値下げの宣伝が目につきます。思うに、これは少子高齢化によるものかもしれません。おそらく健康食品利用者数が最大限に達し、減少に転じ始めたことによるものと見えます。 日本は既に高齢化社会に入っていると言われていますか…

♪.葛城村統合型リゾート施設JA。

政府の提唱するIR法案が成立し、葛城村でもこれの誘致に向けてなにやら騒いでいるようです。とりあえずはチンプイ放送でも聞いてみますか。 ☊...........................................................................................................…

みわ山。

世間は私のことを修験道の祖などと誤解しておられるようですが、私は先祖代々公共土木を担当するしがない役人の一人に過ぎないのでございます。ただ、その当時一世を風靡していたフジワラノミクスに異を唱えただけなのでございます。 今もって脳裏に焼きつい…

玉砕の島。(どこ吹く風 d11 社会と意識)

遠い昔、沖縄は西表の島をさまよったことがあります。下に載せるのはその時の事を思い出しながら書いた記事です。その記事を書いてから既に3年。西表からだと40年以上が経過しています。時の流れというものは、本当に早いものです。 「時が解決してくれる」 …

ファイナンシャルローン病み金。

金あっての現代社会、一攫千金を夢見ても子ネズミの身であってはネギをしょった鴨にされるのがこの世の定め。金は貧しきから富める者に流れ、権利は弱者より強者に託される。資本主義と呼び、民主主義と言うが、貧者や弱者から離れた金や権利が再び彼らの元…

§3.古事記崩年干支の示すもの。

『古事記』には15個(①~⑮)の崩年干支があります。下表.3aがそれです。 - 表.3a『古事記』記載の崩年干支 - ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ 推古 崇峻 用明 敏達 安閑 継体 雄略 允恭 反正 履中 仁徳 応神 仲哀 成務 崇神 戊子 壬子 丁未 甲辰 乙卯 丁未 己巳…

§4.陳寿の設計図。

「捨てる神あれば 拾う神あり」と申しますか、亡国の民陳寿にとって晋は正に拾う神そのものだったようです。陳寿にとって『三国志』あるいは『魏志』を書き上げることが晋への恩返しだったのかも知れません。 『魏志』は30巻。「魏志倭人伝」はその30巻中の最後…

§47.高市文化圏。

『日本書紀』は、法隆寺の前身とされる若草伽藍の焼亡を670年と記しています。もしそれが事実だとすれば、斑鳩文化圏が成立したのは壬申の乱以降ということになります。また、『日本書紀』は壬申の乱の翌年から高市大寺の造営が始まったとも記しています。そ…

§46.都と寺。

大官大寺の出発点を示しているかもしれない吉備池廃寺という道標からは随分と離れてしまいました。しかし、吉備池廃寺からの降り道がはっきりとしない以上、この道標からは離れ、藤原京大官大寺から遡るのが順当ということになります。それに、今のところと…

天武はん。

このコーナーは本来記事カテゴリーとしては「古代雑記」の役君小角の一言コーナーというものでした。しかし、現ブログからこうした記事は全て「平成雑言」に取り込むこととしました。従って、内容は「古代雑記・安万呂の設計図」と併せ読まないと分かりづらいと思い…

§♪.FM 平城山(ならやま)。

叩いた者は叩いたことを忘れるが、叩かれた者は叩かれたことを忘れない。というのが世の常でございます。 これも古い話ですが、確か数年以上も前の葛城村チンプイ放送での御隠居と葛城山彦との会話だったと思います。 ☊....................................…