昭和は遠くなりにけり

古代に思いを馳せ、現在に雑言す。・案山子の落書・

2015-01-01から1年間の記事一覧

§10 石舞台古墳は飛鳥天皇陵か、

石舞台古墳は飛鳥天皇陵か 天円地方という言葉があります。古代の中国人が、天は円く地は四角いと考えたことから生まれた言葉です。しかし、古代人はどのようにして、天は円く地は四角いとする考えに至ったのでしょう。また、この考えを、古代の日本はどのよ…

§9 牽牛子塚古墳は皇祖母陵、

多氏と秦氏、その3 多氏は神武直系の皇別氏族です。神武記の系譜は、多氏一色で塗りつぶされているといっても過言ではありません。いってみれば、日本全国津々浦々に多氏がいるということです。秦氏もまた、多氏に劣らず日本全国に居を構えています。このこ…

§8 秦造河勝と常世神信仰。

多氏と秦氏、その2 古代人はあらゆるものを陰と陽とに分けました。同じものをもです。ものには裏と表があります。太陽が山の東に昇れば、山の西側は影となります。しかし、太陽は時間と共に移動します。太陽が西に傾けば、今度は山の東側が影となります。同…

§7 秦の河勝と茨田の堤。

多氏と秦氏、その1 前節で、田原本町秦庄と田原本町多とを組み合わせることで太秦が生まれました。これを不思議と感ずるよりも、馬鹿げていると思う方のほうが多いと思われます。そこで、もう少し付け加えておきましょう。 太秦の意味するもの 多氏と秦氏と…

§6 太秦と川。

斎宮、笠縫邑、秦楽寺、そして太秦。 伊勢内宮は瀧原宮を遷したもの。瀧原宮は吉野宮を遷したもの。では、斎宮は如何なる宮を遷したものなのだろう。 これはそれほど難しい課題ではありません。というのも、伊勢内宮にしろ瀧原宮にしろ、その造宮の基本は、…

§5 伊勢神宮の前身は宮滝か。

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山… 『万葉集』、巻第一の二番目に載る舒明天皇の歌です。香具山は、“とりよろう 天”と歌われるように、大和三山の中では特別視されている山です。これについては何らかの理由があるとは思いますが、今回は別の観点…

§4 神武東征と鬼門.

鬼門。陰陽を生み出すもの、陰陽を隔てるもの。 古代人は万物を陰陽に分けました。先天と後天もある意味での陰陽であります。道教と儒教、これも陰と陽との関係に置き換えることが可能です。古代と現代、これもまた然りでありましょう。そして最後に『古事記…

§3 見瀬丸山古墳は聖徳太子の墓か。

陰陽の狭間 安万呂の道標には二つの陰陽の狭間が出てまいります。一つは、見瀬丸山古墳と三輪山とを結ぶライン。もう一つは、法隆寺と聖武天皇陵とを結ぶラインです。このラインは北東あるいは南西に向かっており、それぞれの向きで鬼門もしくは裏鬼門と言わ…

§2 八卦方位図と大和。

二元論と五元素 古代人はあらゆる物を二つの元素に分けました。また、古代人はあらゆる物を五つの元素にも分けました。一見矛盾しているようにも感じますが、物には裏と表があります。言い直しましょう。古代人はあらゆる物を陰陽に分けました。無論、五つの…

§1 安万呂の道標と大和。

まえがき 『記紀』を探る上で必要と思われる古代人の思考と連想の流れを、一億分の一の立場からではありますが少し述べたいと思います。ただし、ここで取り上げる思想とは広い意味での宇宙観であります。古代人は、この宇宙の現象を陰と陽の消長盛衰で捉え、…