昭和は遠くなりにけり

古代に思いを馳せ、現在に雑言す。・案山子の落書・

2015-11-01から1ヶ月間の記事一覧

§7 秦の河勝と茨田の堤。

多氏と秦氏、その1 前節で、田原本町秦庄と田原本町多とを組み合わせることで太秦が生まれました。これを不思議と感ずるよりも、馬鹿げていると思う方のほうが多いと思われます。そこで、もう少し付け加えておきましょう。 太秦の意味するもの 多氏と秦氏と…

§6 太秦と川。

斎宮、笠縫邑、秦楽寺、そして太秦。 伊勢内宮は瀧原宮を遷したもの。瀧原宮は吉野宮を遷したもの。では、斎宮は如何なる宮を遷したものなのだろう。 これはそれほど難しい課題ではありません。というのも、伊勢内宮にしろ瀧原宮にしろ、その造宮の基本は、…

§5 伊勢神宮の前身は宮滝か。

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山… 『万葉集』、巻第一の二番目に載る舒明天皇の歌です。香具山は、“とりよろう 天”と歌われるように、大和三山の中では特別視されている山です。これについては何らかの理由があるとは思いますが、今回は別の観点…

§4 神武東征と鬼門.

鬼門。陰陽を生み出すもの、陰陽を隔てるもの。 古代人は万物を陰陽に分けました。先天と後天もある意味での陰陽であります。道教と儒教、これも陰と陽との関係に置き換えることが可能です。古代と現代、これもまた然りでありましょう。そして最後に『古事記…

§3 見瀬丸山古墳は聖徳太子の墓か。

陰陽の狭間 安万呂の道標には二つの陰陽の狭間が出てまいります。一つは、見瀬丸山古墳と三輪山とを結ぶライン。もう一つは、法隆寺と聖武天皇陵とを結ぶラインです。このラインは北東あるいは南西に向かっており、それぞれの向きで鬼門もしくは裏鬼門と言わ…

§2 八卦方位図と大和。

二元論と五元素 古代人はあらゆる物を二つの元素に分けました。また、古代人はあらゆる物を五つの元素にも分けました。一見矛盾しているようにも感じますが、物には裏と表があります。言い直しましょう。古代人はあらゆる物を陰陽に分けました。無論、五つの…