「記紀」の編纂にあたって、安万呂はまず何をしたのでしょうか。幸いなことに、彼はその手掛かりを後世のために残しております。序文には、彼が『古事記』を撰録するとき、稗田阿礼をその道案内としたと書いております。その稗田阿礼が手がかりなのです。 稗田…
周知のように、倭人伝は魏志の東夷伝の中では意外とも言えるほど字数の多い記事内容となっています。このことは陳寿が倭を特別視していることの表れと見えます。従って、前回で述べたような陳寿の意図があるとしたとしても、強ち見当外れとはならないはずで…
さてお気付きのように、図.47bでは定説に違えて法隆寺の瓦を一番最初に掲げました。それは、もし法隆寺が川原寺の後に出来た寺ならば、おそらく法隆寺式の瓦と言うよりも斑鳩文化圏そのものが存在しなかったと思われるからです。なぜなら、川原寺に続く薬師…
私が生まれた時代、飛鳥に都があった時代ですが、その当時関と言えば、不破関(美濃)、鈴鹿関(伊勢)、愛発関(越前)の三つを指しました。それがテレビの当世風時代劇の見すぎなのでしょうか、いつのまにか、関と言えば先ず箱根の関所を思い浮かべるようになって…
勝てば官軍、負ければ賊軍。この言葉ほど明治維新と直結した言葉はない。言葉の意味は、たとえ道理に合わなくとも、戦いに勝った者は正義となり、負けた者は不義になるということ。そして、明治維新で薩長土肥軍に負けた幕府軍が噛み締めた言葉でもある。 ✎.…
最近、健康食品メーカーの大幅値下げの宣伝が目につきます。思うに、これは少子高齢化によるものかもしれません。おそらく健康食品利用者数が最大限に達し、減少に転じ始めたことによるものと見えます。 日本は既に高齢化社会に入っていると言われていますか…
政府の提唱するIR法案が成立し、葛城村でもこれの誘致に向けてなにやら騒いでいるようです。とりあえずはチンプイ放送でも聞いてみますか。 ☊...........................................................................................................…
世間は私のことを修験道の祖などと誤解しておられるようですが、私は先祖代々公共土木を担当するしがない役人の一人に過ぎないのでございます。ただ、その当時一世を風靡していたフジワラノミクスに異を唱えただけなのでございます。 今もって脳裏に焼きつい…
遠い昔、沖縄は西表の島をさまよったことがあります。下に載せるのはその時の事を思い出しながら書いた記事です。その記事を書いてから既に3年。西表からだと40年以上が経過しています。時の流れというものは、本当に早いものです。 「時が解決してくれる」 …
金あっての現代社会、一攫千金を夢見ても子ネズミの身であってはネギをしょった鴨にされるのがこの世の定め。金は貧しきから富める者に流れ、権利は弱者より強者に託される。資本主義と呼び、民主主義と言うが、貧者や弱者から離れた金や権利が再び彼らの元…
『古事記』には15個(①~⑮)の崩年干支があります。下表.3aがそれです。 - 表.3a『古事記』記載の崩年干支 - ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ 推古 崇峻 用明 敏達 安閑 継体 雄略 允恭 反正 履中 仁徳 応神 仲哀 成務 崇神 戊子 壬子 丁未 甲辰 乙卯 丁未 己巳…
「捨てる神あれば 拾う神あり」と申しますか、亡国の民陳寿にとって晋は正に拾う神そのものだったようです。陳寿にとって『三国志』あるいは『魏志』を書き上げることが晋への恩返しだったのかも知れません。 『魏志』は30巻。「魏志倭人伝」はその30巻中の最後…
『日本書紀』は、法隆寺の前身とされる若草伽藍の焼亡を670年と記しています。もしそれが事実だとすれば、斑鳩文化圏が成立したのは壬申の乱以降ということになります。また、『日本書紀』は壬申の乱の翌年から高市大寺の造営が始まったとも記しています。そ…
大官大寺の出発点を示しているかもしれない吉備池廃寺という道標からは随分と離れてしまいました。しかし、吉備池廃寺からの降り道がはっきりとしない以上、この道標からは離れ、藤原京大官大寺から遡るのが順当ということになります。それに、今のところと…
このコーナーは本来記事カテゴリーとしては「古代雑記」の役君小角の一言コーナーというものでした。しかし、現ブログからこうした記事は全て「平成雑言」に取り込むこととしました。従って、内容は「古代雑記・安万呂の設計図」と併せ読まないと分かりづらいと思い…
叩いた者は叩いたことを忘れるが、叩かれた者は叩かれたことを忘れない。というのが世の常でございます。 これも古い話ですが、確か数年以上も前の葛城村チンプイ放送での御隠居と葛城山彦との会話だったと思います。 ☊....................................…
強者が弱者を追いつめて悪事に走らせる。これを悪の論理と言います。無論私の勝手な雑言ですが、暇のある方はお読みください。 ✎.......................................................................................................................…
最近、邪馬台国に関しての新しい知見が得られなくなりました。それは、古代史ブームが去ったということにもよるのでしょうが、もしかしたら新たな発掘の成果待ちという歴史家の消極的な研究態度によるものも又あるのではないかと思ったりもします。 ところで…
これは歴史ブログの合間に入れるべく書いたものですが、投稿の折りもなく今日に到ってしまいました。歴史ブログは斑鳩東方朔が担当ですので、東方朔のボヤキをうけての六無斎の更なるボヤキということになります。 内容は陰陽五行思想の拡大解釈を行っていま…
大官大寺の出発点を示しているかもしれない吉備池廃寺という道標からは随分と離れてしまいました。しかし、吉備池廃寺からの降り道がはっきりとしない以上、この道標からは離れ、藤原京大官大寺から遡るのが順当ということになります。それに、今のところと…
江戸に三代住めば立派な江戸っ子だそうですが、私はこのブログで三回目です。そうしますと、私も立派なブログっ子ということになるわけですかな。 しかし、立派な江戸っ子にしろブログっ子にしろ老いぼれては立つの落とし子ならぬ立たないお年寄り子というわ…
働き方法案なるものが国会で討議されたとか。しかし、この法案、庶民からの議案ではなくお上や企業からの議案らしい。 そうすると、働き方法案ではなく働かせ方法案が正しい呼び方ではないかと。 ✎........................................................…
さて、元明陵から山田寺まで道標に従って輪廻の路を下ってまいりましが、実はこの路の途中にもう一つ別の道標があるのです。それは吉備池廃寺と呼ばれている古代の寺院跡です。そして、この寺院跡が大官大寺の前身である百済大寺跡ではないかとも言われてい…
近頃、人の間だけでなく自然の間にも格差が生じているとか。異常気象に環境異変。上から下への富やエネルギーの流れに偏りが生じている証なのかも知れません。 これも古い話でございますが、暇ならどうぞお読みください。誠惶誠恐、頓首頓首。 ✎............…
たった60個の組み合わせしか持たない干支ですが、繰り返すことで無限の年数を表すことができます。前号では、「記紀」の骨組みは1501年間に納まると述べましたが、正確には79章の中に納まるということです。下図参照 章とは19年を1章と数える暦法の単位です…
最近は、HTMLにもCSSにもそこそこ慣れはしたのですが、縦書きにして横にスクロールさせる方法が未だ分かりません。 かと言って縦書きに拘っているわけではありません。ただ、横書きはレポート用紙の書式のように思えて不平や不満等を述べるには不向きのよう…
例えとしてはどうかとは思いますが… 先ずは始めましょう。 大和は本来奈良盆地の東南地域だけを指しての呼称でした。それが時代が降るとともに拡大されて、先ず奈良県全体を指す呼称へと変わり、そして最後は大和民族という呼び方があるように日本の国を指す…
近近二回目の米朝会談が行われるとか。 ところで、6月12日の一回目の米朝会談、巷では異様な噂が囁かれていたのですが、何事もなく終わったようです。 ちょと、その当時の葛城村チンプイ放送でも聞いてみますか。 ☊.......................................…
交差点とは、道の集まるところであると同時に道の分かれるところでもあります。そういう意味では分岐点とも起点ともさらには中心とも呼べるものでもあります。 「記紀」の書かれた時代、その時代の中心は平城宮第一次大極殿にありました。その大極殿の玉座にい…
遠い昔の話でございます。 巷では、TPPが良いの、あるいはTTPが良いのと大騒ぎをしているようです? これを葛城山から眺めていますと、てってってっ、ぺっぺっぺっ と、ただ唾を飛ばしあっているようにしか映りません。 ✎..................................…