昭和は遠くなりにけり

古代に思いを馳せ、現在に雑言す。・案山子の落書・

環太平洋パートナーシップ

 環太平洋パートナーシップ協定(TPP)という言葉を聞いて随分と久しくなります。恥ずかしい話ですが、TPPがいつの間にやら記憶の中でTTPとなっていました。まあ、そのくらい久しかったということでしょうか。
 ただ、そのTPPも今日ではTPP11となっているとか。時代は年と共に常に変わっていくようです。
 ところで、インターネットスラングにh抜きのttpがあるとか。そうしますと、差し詰めTPP11はアメリカ抜きのTPPということになるのでしょう。

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 TPPからアメリカが離脱をしてから、TPPの風向きにいろいろの変化が起こっているようです。とは言っても、本来TPPは「小国同士の提携によって市場価値を上げる」というのを目的の一つとしていたと聞きます。従って、アメリカの離脱は不自然とは言えず、むしろ日本がこれにとどまることの方が不自然とさえ言えそうです。もしかしたら風向きに変化を与えているのは日本なのかもしれません。

 さて、TPPの細かいことには立ち入らず、先ず貿易ということだけについて考えてみますと。貿易というのは輸出と輸入の二つから成り立っています。無論、これは誰もが知ることでしょう。しかし、輸出100%と輸入100%の意味を知っているかというより、これについて考えたことがあっただろうかということなのですが。しかし、それよりも輸出200%とか輸入200%とかと言った言い回しが成り立つのか如何かと問い直した方がいいのかもしれません。
 結論から申しますと、輸出の200%はあるが、輸入の200%はないということになります。つまり、必要以上に輸出は出来ても、必要以上の輸入は出来ないということです。思いますに、裕福な国というのは必要なものは全て輸入をしています。一方貧しい国は必要なもの全てを輸入しているわけではありません。従って、仮に関税が撤廃されて商品が安くなったとしても、裕福な国の輸入が増えるわけではありません。しかし、貧しい国の場合はあるいは増えることになるのかもしれません。
 さて、その貧しい国も加盟するというTPP。そのTPPが掲げるのが関税の完全撤廃、全ての国に適応される平等な条件です。しかし、その平等なはずの条件から上に述べたような不平等が生じます。おそらくTPPのようなものが世界中に施された場合、裕福な国の輸出は増え、貧しい国の輸入が増大することは確かでしょう。

 誰もが感じているように、世の中は必ずしも平等に出来ているわけではありません。たとえそこに完璧とも言えるほどの平等な条件を宛がったとしても平等になるわけではありません。また、TPPに入れば何処かの国に対して有利になるなどというのは小さなものの見方です。この小さなものの見方が世界を歪に導き、アメリカをTPPから離脱させた要因ともなっているようにも見えます。
 最初にも述べたように、TPPは小国間の連携というものがその基礎となっています。これは明らかに大国を意識してのもので、大国と対等に張り合うための小国間の連携協定それがTPPであると。しかし、小国の上にいくら小国を重ねようと大国とはなり得ません。それは不平等の上に幾ら平等を重ねようと平等とはなり得ないのと同じです。

 思うに、不平等は小国にも大国にも存在します。たとえば経済大国日本、この国は完全無欠のTPP47とも呼べる都道府県でできています。しかし、この国では地方の疲弊、都市部の繁栄、一票の格差といった不平等への進行が始まっています。もしかしたら、TPPの行き着く先は不平等貿易なのかもしれません。

 思うに、社会の不平等をなおざりにして、貿易や経済だけの平等を謳ったとしても、どこからも拍手喝采は得られないのではないだろうか。

 

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なぁーんも なぁーんも
寛容 寛容
へば 寛容

何事も寛容寛容へば寛容、誠惶誠恐、頓首頓首。