昭和は遠くなりにけり

古代に思いを馳せ、現在に雑言す。・案山子の落書・

日本国憲法のエンブレム。

古い話でございますが、長ったらしい話でございますが、お爺の話でございますが。聞くところに拠りますと、ブログユーザーの老齢化が進んでいるとか。しかし、記事の老化は未だだと聞きます。そうしますと、このブログがその記事老化の栄えある第一号かと。
 暇ならどうぞお読みください。寛容寛容へば寛容、誠惶誠恐、頓首頓首。

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 嘗て60年安保の時代、岸信介内閣の時代、コロンブスの卵は日本に持ち込まれました。それから幾世代かが経た後、皮肉というか宿命というか、岸信介の孫にあたる安倍晋三内閣の下でその卵はかえろうとしています。今、安倍内閣集団的自衛権に抗議するデモ隊の姿を見ていますと、遠い昔の70年安保が昨日のように思い出されます。遠い遠い昭和の時代の記憶です。
 その遠い遠い昭和の記憶の片隅に今は聴かれぬ歌があります。

   ・・・ 貧しさに負けた。いえ、世間に負けた ・・・

 人は弱い生き物です。世間に負けた人はテレビドラマの中では決まって罪を犯します。今、日本はアベノミクスの真っ只中、貧しくはありません。しかし、世間に負けてか、何に負けてか、それとも米国に二度も負けてか憲法違反の罪を犯そうとしています。世間や国際世論が戦争を目指しているわけでもないのに、なぜか戦争を目的とする旗印、エンブレムを造ろうとしています。

 思うに、日本は平和の旗印を掲げる世界でも稀有な国家です。どうして、国際世論が日本には不可能でかつ陳腐で役に立たなかった軍事バランスによる平和を期待したりするでしょうか。もし、国際世論が日本に期待するとすれば、それは日本独自のどこの国も試みたことのない非軍事の平和ではないでしょうか。

 確かに、現実は厳しく世間もまた厳しいものです。しかし、この厳しさに負けて自国の憲法を踏みにじるのでは、国を導く政治家として法学者として余りにも情けないことではないのか。かって日本は米国に圧迫され太平洋戦争に突入した。そして、今回は集団的自衛権に突入しようとしています。
 集団的自衛権は、一億分の一の検証にすぎませんが、素人目にも憲法違反にしか見えません。なぜなら、日本国憲法のデザイン要素は、国民主権基本的人権の尊重、平和主義の三つだからです。この三つをどう組み合わせようと国連の保障する集団的自衛権は描けません。また、百歩譲って象徴天皇制自衛隊を付け加えても集団的自衛権はやはり描けません。
 そもそも、日本における集団的自衛権は、自衛を目的とする集団同士の同盟でなくてはなりません。しかし、米軍は歴史的に報復攻撃、防衛攻撃、軍事介入を目的としてきた集団です。これとの今回目的とする趣旨での同盟は、集団的自衛権というよりも集団的攻撃権つまりは軍事同盟に他なりません。この条件下では、自衛隊自衛隊ではなく実質的な軍隊ということになり日本国憲法に違反します。

 それにしても、明らかに憲法違反であるものを何故違反ではないと法案賛同者は言い張るのだろう。またその根拠を何処においているのだろう。考えられることは唯一つ。おそらく、小泉純一郎政権下で成立したテロ対策特別措置法にあるのでしょう。というのも、この法案が集団的自衛権によく似た内容だったからです。
 しかし、この措置法が成立できたのは、偏にテロという冠詞があったからに他ありません。テロは国際社会が憎む行為です。テロ対策に異議を唱える者はいないはずです。しかし、今回の法案はそのものずばり米国との軍事同盟に他ありません。また、仮にこれにテロという冠詞を付け加えようと、今回の指し示すテロは国際社会が認めるテロではなく、単に米国が主張する反米組織を指すだけでしかないはずです。

 最後に、プロのプロらしからぬ発言「国が守れなくては憲法も守れない」について常識の一言を。
 先ず最初に、これは「国は守らなくとも憲法は守らなくてはならない」と言うのが日本国憲法を知るプロとしての政治家や法学者の正しい発言かと。

 日本国憲法には縁もゆかりもない昭和の枯れ芒の言い分です。あるいは思い違いがあるかもしれませんが、日本国憲法には国あるいは国家についての言及は無いように思われます。したがって、憲法に出てくる国とは広義においての政府の組織で、市民社会とは区別されるが一応公的制度とされる、政府、議会、官僚等の組織と規定するしかないと思います。従って、もし「国を守れ」と政治家や法学者が述べたのであれば、これは将に自分たちを守れと言っているようなものでしかありません。
 また、政府は盛んに国民の生命や権利を守るために必要な法案などと言っているようですが、本当の意味で国民の生命や権利を守れるのは単なる政府や公的組織ではなく憲法を遵守するところの政府や公的組織なのです。単なる政府や公的組織が国民を守るなどという事を憲法でさえ前提とはしていません。日本国憲法のなかに国家権力の集中によって生じる権力の濫用を防止しする制度のあることがその証です。

 日本国憲法は日本独自のオリジナルデザインを持つエンブレムです。どこからも盗作疑惑を受けることのないものです。それを何ゆえ政府は盗作疑惑の受けやすいエンブレムに変えようとするのか。日本は平和を守るためと言いながら、結局は平和を守らない国に向かおうとしているのではないのか。

最後の最後に一言、憲法違反みんなで犯せば怖くない。チョット、古臭かったですかな。

 

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なぁーんも なぁーんも
寛容 寛容
へば 寛容

何事も寛容寛容へば寛容、誠惶誠恐、頓首頓首。