昭和は遠くなりにけり

古代に思いを馳せ、現在に雑言す。・案山子の落書・

原則を軽んずるプロは素人にも劣る。

 五輪エンブレムの盗用疑惑。古い話でございます。長ったらしい話でございます。しかし、ここに社会が抱える矛盾の一断面が見えているように思います。暇ならどうぞお読みください。

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 餅は餅屋、紺屋の白袴、昭和の時代にはこんなことわざが生きていました。しかし、五輪エンブレム盗用疑惑、憲法の誤用あるいは御用達解釈。
 近頃、プロと呼ばれる人たちの原則無視が社会を騒がせています。紺屋の白袴ならばすがすがしくていいのですが、原則あってのプロフェッショナルがこのざまでは皮肉の一つも言いたくなるのが人の性というものです。もっとも、原則を軽んずるのが権威としてのプロの平成風のやり方だと平成ススキに言われてしまえば、川原でぼやくほかはない昭和の枯れススキではありますが。

 ススキはさておき、さらに気になることには、この原因についてこれまたプロがプロらしからぬ発言をしているのです。即ち、こうしたことはスポンサーのニーズや時代のニーズ、そして国際情勢の変化等に応じたためで当然ありうることだと。しかし、そもそも原則というものは何時いかなる状況に於いても変わってはならないもののはずではなかったのか。原則を原則としないのでは、いったい、今日の社会の基本とも呼べる原則は何処にあるというのだろう。白紙委任の民主主義のレッテルの裏にある、ということなのだろうか。

 思うに、権威のある者が原則を決め、そしてそれを無視する、皮肉と言うかまさにそれこそが何時如何なる時にも数千年来変わることのなかった社会の原則であったのかもしれません。願わくば、この社会のそうした原則をこそ無視をしていただきたいものである。
 ところで、原則の基本は何によるべきでしょうか。無論、それは常識による他はありません。常識に関しては人に拠り社会に拠りいろいろの観念あるいは概念がありますが、基本的には誰もが受け入れられるもの、つまり自他共に害をなさないもの、平和的なものということになりましょうか。そして、ここでの場合(五輪エンブレムの盗用疑惑)、それはデザインの常識ということになり、デザイナーの常識と選考委員の常識が問われているのだと思います。
 そこで、彼らプロが如何に常識の初歩的なミスを犯しているかを一億分の一ではありますが、素人の目による些細で単純かつ常識的な検証を試みてみましょう。

 下図の左端は当時大騒ぎをした、2020年東京オリンピックのエンブレム(モノクロ画)です。また、右の二つはパソコンにも入っているありきたりのフォントです。右の二つ、一見すると非常にかけ離れたデザインのようにも見えます。しかし、部品数、要素数といった観点から捉えてみると三つ子の兄弟のようにも見えるものなのです。

 周知のように東京五輪エンブレムはアルファベットのTを表現したものです。Tは漢字の画数では2画に当たり、2番目に少ない画数の文字ということになります。漢字は複雑なデザインの文字ですが、それでも2画の文字となると総数は40余りとなります。これが多いか少ないかはさて置き、この2画の文字を100人のデザイナーがデザイン化すると、極端な話2人が同じものになってしまうことになります。

 さて、上図の五輪エンブレムの部品数は4、その中で①と④は同じですから要素数は3となります。そこで、右の二つのフォントを要素数3かつ部品数4になるようにデザイン化(ロゴ化)するとどのようになるかを先ずは Constantiaのフォントで試みてみましょう。

 おそらく誰が試みても、要素数3の制約の下では考えるほどのこともなく機械的3 の段階目まで進むと思います。この段階での部品数は6ですから、部品数を4とするもう一つの制約を満たすにはこれから部品を2つ取り除かなくてはなりません。そこで、3 の段階目のデザインをあらためて見直してみますと、⑤と⑥が非常に不釣合いな感じがいたします。これは要素数3という制約が招いたもので、本来のデザインとは意図する以上にかけ離れて大きくなってしまったものです。したがって、⑤と⑥とにはデザイン的価値は皆無ですので、この2つを取り除けば部品数4が達成できることになります。また、コンマ④も取り除かれた⑥の場所まで下がり、本来の位置に落ち着くことになります。

 単にアルファベットのTだけのことですと以上のこと迄でよいのですが、これにはもう一つ重要な制約が残されています。即ち、東京オリンピックのエンブレムに相応しいものでなくてはならないという制約です。しかし、これも考えるまでもないことですが、右の③と④とが占める区画部分を上下反転させれば、コンマを日の丸とするデザインが出来上がります。右端の図の5 がそれです。また、下の図はもう一つの Time New Romanのフォントを同じ方法でロゴ化したものです。

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 ところで、聞くところによりますと、今回の選考に際してはスポンサーが利用しやすいデザインが選ばれたとかとの事らしいのですが、ここにいうスポンサーとは企業のことだと思います。
 企業のロゴやエンブレムは私の知る限りかなりシンプルなものが多く、今回の選考ではおそらくシンプルさが買われての入選だったのでしょう。それに、修正前のエンブレムが5 の段階目のデザインであったこと、またこのデザイナーに委員会が固執していたことなどからシンプルな作品はこれのみであったのかもしれません。しかし、ここに選ぶほうと選ばれるほうの双方に大きなミスがあったといえます。

 考えてみれば、シンプルな作品がこれのみだということは、他のデザイナーがシンプルさを敬遠していることを意味しています。選ぶほうとしては先ずこの事に気づかなければなりません。それにシンプルで企業好みのロゴタイプの作品がいいのであれば、企業に選ばせればいいのです。何も選考委員会を設置する必要はありません。
 そもそも、シンプルでロゴタイプの作品というものは、これまでのアルファベットTのロゴ化からも分かるように何段階もの制約の下でのデザインとなり、極端な話、丸と四角の四つを用いてアルファベットTと日の丸のエンブレムを造るようなものなのです。プロも素人もよく似たデザインになることは確かです。プロならば、選ぶほうも選ばれるほうもシンプルでロゴタイプの作品は敬遠するのが常道です。無論、コロンブスの卵という考えもあります。しかし、世界中何処に行ってもデザイナーは存在します。コロンブスが乗り出せる海は何処にもないはずです。

 今回の騒動、起因はプロがプロの原則を軽んじたことにあります。素人でさえ、「これだけシンプルになれば似るのは仕方がない」と同情的な意見を述べているのです。このシンプルになれば似る、これこそがプロとしてのデザイナーの常識ではなかったのか。

 ところで、パソコンのフォントの中で左側の Constantiaタイプのものはこれ一つしか見つけられませんでしたが、右側の Time New Romanタイプのものは沢山ありました。このことは、5 の段階目のものに似たものがあれば、e の段階目のものはもっとあるという事をありふれた機器でさえ指し示しているということではないでしょうか。修正の段階で何故こうしたことに気を付けなかったのか。これは航空機のニアミスと何ら変わらないプロのプロらしからぬ特選級のエラーと言うほかありません。

 思うに、今回の騒動の根底にあるのは、応募作品がプロ中のプロによるものという大前提、つまりは作品にはいわゆるスキがないというその大前提への過信あるいは驕りではなかったのか。

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なぁーんも なぁーんも
寛容 寛容
へば 寛容

お目をお汚しになられたとは思いますが、
今回より最後にかようなものをつける決まりと相成りました。
何事も寛容寛容へば寛容、誠惶誠恐、頓首頓首。