続TPPのゆくへ。
クモの巣ブログを始めて足掛け三年、いや四年ですか、もう忘れてしまいました。
ところで、去る6月28日、始めてコメントが頂けました。本来なら即返礼をしなくてはならないのですが、なにぶん年寄りの受け答え、今日明日というわけには参りません。また、予定もございます。年寄りにとって予定を変更することぐらい大儀なものはないのでございます。
ついては、今回に至りましたこと深くお詫び申し上げます。
なお、これは他のブログでの話でして、当ブログでの事ではありません。
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頂く物は夏も小袖と昔の人はうまいことを申しておりますが、六無斎、何も欲張っているわではございません。ただ六無斎ともなりますと、どんなコメントであれ頂ける物は全て頂くという長年に渡って培ったと言うよりも染み付いたと言うか、そうした悲しい性より抜け出すことは出来ないのでございます。それになにより、どんなコメントであれコメントがあるということは誰かが読んで下さったということで、年寄りにとっては何よりも嬉しいことでございます。
ただ、遅れ馳せではございますが、TTPの見出しということだけでこれを読まれた方には一言お詫びを申し上げておきます。また、これを面白いと思われた方には、次のような駄洒落をお送りいたしたく存じます。
TTP、アメリカ抜けてとうとうパーになり、TPP。
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6月26日の本カテゴリーの投稿記事の見出し「TTPのゆくへ」、これは「TPPのゆくへ」というのが正しい表記でございます。しかし、平成六無斎友の会といたしましては、これは記念すべきコメント第一号ということでもあり、一同協議の結果修正しないことと相成りました。また、TPP11などという言い方よりもTTPの方が好いのではないかという意見もございました。 何事も寛容寛容へば寛容、誠惶誠恐、頓首頓首。
何とはなくカテゴリーが違ってしまったような気がいたしますので、TTPが出たついでにこれについて二言ほど述べておきましょう。
先ず、TTPはインターネットで使うHTTP(ハイパーテキスト・トランスファー・プロトコル)からHを抜いたインターネットスラングの「h抜き」というものだそうです。ただ、六無斎詳しくは知りません。知りたい方は各自お調べのほどを。
次に、パキスタン・タリバン運動のTTP(Tehrik-i-Taliban Pakistan)があります。これは、本来イスラムの学生運動だったとか。これについても六無斎詳しくは知らないのですが、ただ「TTPのゆくへ」つまり歴史的に見れば悪の論理の応酬かと。
例えば、アメリカとイスラエルのイスラムへの攻撃パターンを見てみますと、先ずイスラムを圧迫して彼らのテロを誘発しています。そして彼らにテロ攻撃をさせておいて、千倍とも万倍ともいえる報復攻撃を強行します。
この報復攻撃は、先進諸国からすれば当然のように見えるかもしれませんが、イスラム側からすればこれは何らテロと変わりません。
イスラムの混乱で得する者がいることは確かですが、悪の論理や悪の道具はギロチンの例えもあるように、これらを用いた大国先進諸国にいずれ帰ってくることになることもまた確かでしょう。
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皆様、幾多の悪の論理を実践してこられた皆様、
祈りの時がやってまいりました。
しかし、諸悪の根源ネット界に君臨するスリー損損と対峙するためにも本日は村田秀雄の平成音頭でまいりたいと思います。
皆様、万障お繰り合わせの上、この音頭に参加されんことを。誠惶誠恐、頓首頓首。
皆の衆 皆の衆
どうせこの世は損なもの
損じゃないかエー 皆の衆 ソン ソン
結構でございました。
♪.こちらABCD放送。
シャッフルとはトランプゲームの前にカードを切り混ぜることをいうのですが、最近はどういうわけですかトランプはトランプでもトランプの大統領か大統領のトランプかが世界をシャッフルしているとかの話のようです。
これは、トランプ氏が大統領に当選して、一段落ついた頃の葛城村チンプイ放送での御隠居と葛城山彦との会話です。
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「ご隠居さん、トランプが当選して終いましたがどう思われますか」
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「そうじゃのう、トランプと言えば、ワシャ子供のころババ抜きゲームばかりやっとたでナー」
「何でも聞くところによると、今度の大統領選はトランプ爺とクリントン婆の争いじゃということじゃろ」
「まあ、早い話がトランプ爺がババ抜きゲームに勝ったというだけのことじゃろナー」
「それにこのゲーム、いかさまという噂もあるんじゃろー」
「それにどっかの国の総理が、このジッちゃまとロン・やす以来の好関係にあるというんじゃろー」
「なんでもAB・CDの関係じゃという噂じゃろ」
「何、ABは分かるがCDが分からんじゃと」
「CDはトランプCardのことじゃろがー」
「ただのう、AB・CDだけではアルファベットの最初の方だけの関係じゃろうが」
「最後まで続く関係じゃろかのう」
「何、シャッフルするから大丈夫やて」
「しかしのう、トランプカードにはAとJとQとKしかないじゃろが」
「他はどうするんじゃろ」
「それにトランプにはジョーカーがあるじゃろが」
「気を付けねばいかんじゃろのう」
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皆様。トランプでいかさまにかけられぬよう。
かけられた場合は早々に じゃろ に通報を。
しかし、その前に例の呪文を唱えましょう。
けっこうけだらけ ねこはいだらけ
チチンプイプイ たむろっど
結構でごじゃろました。
なおこの呪文は、自民党や維新の党が掲げる博打法案・いかさま法案に反対する時に唱えると多大の効果が期待出来ます。なぁーんも、なぁーんも、お試しなすってばさ。
§1.奴國を取り除け、戸数は語る。
邪馬台国問題は、煎じ詰めれば「魏志倭人伝」そのものの問題です。どう解釈するかということも大事ですが、忘れてならないことは "「魏志倭人伝」は陳寿の作ではあるが、陳寿の見聞録ではない "ということです。つまり、「魏志倭人伝」は他者の手になる資料を陳寿が集め、彼自身の考えの下で再度組み立てられた結果出来上がったものだということです。
従って、「魏志倭人伝」というそうした文献が引き起こす諸問題等への解決の糸口は、陳寿が集めた資料を彼がどのように組み立てたかを先ず知ることから始めなくてはならないはずです。そして、そのためには、陳寿が用いなかった資料を知ることもまた大事なこととなるはずです。つまり、用いた資料は陳寿を含む当事者の証言、用いなかった資料は第三者の証言ということになります。
パズルる邪馬台国
早速始めたいと思います。ただ、じぃじぃだすのことでございます、くどくどと前置きが少々長くなりますことを前もってお断りしておきます。また、これは連載ものですので適当な長さで話を切り揃えたりもいたします。これも前もってお断り申し上げておきたいと思います。
さまよえる古代
タクラマカン砂漠の蜃気楼の中にさまよえる古代都市国家、楼蘭がある。スウェン・ヘディンは楼蘭がさまようのはロプノール湖がさまようからだといい。近代科学はロプノール湖がさまようのは気候がさまようからだという。
伝説のみやこ楼蘭は、古代という砂漠の上で揺らぐ蜃気楼と近代科学との狭間を、眠れる女王のとわの夢をいだいて今もさまよっている。
「考古学は総合科学」と言われだしてから久しくなります。近代科学の前では、楼蘭も邪馬台国も老い先わずかの夢を剥ぎ取られた老婆のように、やがては行くことになる古代という墓標の前にうずくまるほかはないようです。今や文献史学は意味不明のお経の感すらあり、考古学との溝が広がっています。しかし、この溝を埋めるのはおそらく文献史学でありましょう。なぜなら、考古学は近代科学の分析データに益々縛られて来るからです。
それはさておき、遥か西北の砂漠の中をさまよう伝説の古代都市国家が楼蘭ならば、遥か東南海中をさまよう伝説の古代都市国家が我らが邪馬台国である。邪馬台国をさまよわせているものは何か、吉野ヶ里か、纏向か、はたまた三内丸山か。
邪馬台国は「魏志倭人伝」の中にのみ存在する都市国家である。たとえ親魏倭王の金印がどこからか掘り出されようとも、漢委奴国王の金印が何も語らなかったように、それもまた何も語らないであろう。強いて年輪や同位元素に語らせたとしても、さらに邪馬台国をさまよわせるだけである。
思うに、一番最初に邪馬台国をさまよわせたのは、皮肉にも「魏志倭人伝」そのものなのです。「倭人は帯方の東南大海の中に在り」より始まる通称「魏志倭人伝」の里程あるいは道程と呼ばれている位置関係を示す記事データーが、邪馬台国を西へ東へとさまよわせているのです。
それならば、それらの記事のデーターを取り除けばよい。誰しも考えることではないのか。いや、いっそすべてを取り除いたらどうだろうか。もっとも、これは誰もが考えることではないのかもしれない。
戸数は語る
今日、古代日本というよりも先史時代とも呼べる日本を知る上で「魏志倭人伝」は欠かせない史料ではあります。ただ、誰もが読んで感じるように、そのままでは古代国家成立の過程を探る資料としては精度がかなり落ちると言うほかはありません。そこで、少し工夫をしてみましょう。無論、先ほどの極端な考えを用いてですが。
「魏志倭人伝」の中から国名とされるもの、それも今日理解が可能なもの以外を取り除くと、狗邪韓、倭、對馬、一大、末盧、伊都の六国ほどしか残りません。しかし、これとても順序良く並んでいるからこそ可能であって、単独では狗邪韓と倭以外は分からなかったかもしれません。しかし、そういうことであれば「魏志倭人伝」順序だけは合っているのかもしれません。
それなら、伊都の後を続けてみましょう。伊都の次に来るのは何か。実は、宇美が来るのです。無論、「魏志倭人伝」では奴国が来ます。しかし、『古事記』の神功皇后の物語を読むと分かると思いますが、ここには奴(那)という国も地名も登場しません。その代わりに、末盧、伊都、宇美が神功記での物語の舞台として登場しています。
なお、『日本書紀』には儺県と儺河とが出ていますが、それらは「なノ県」と「なノ河」という読みではなく、「なが県」と「なか河」となっていて奴(那)という地名からのものではないように見えます。
そういう訳で、「魏志倭人伝」から宇美に当たるものを探してみますと、不彌がそれに当たりそうだということになります? …とりあえずはそうしておきましょう。
そうなりますと、順序として不彌の前にある奴国が邪魔になります。そこで、奴国が取り除けるかどうかを試みてみましょう。
下に示す表は、陳寿が自身で集めた資料を基に陳寿自身の考えの下で組み上げた倭国です。私は、これをジグソーパズルの一つの解、つまり陳寿の解答であって正解とは見ていません。それは陳寿の解答にはピースの埋まっていない部分があるからです。
なおこの表は、「倭人伝」の里程記事を順序通りに五項目にまとめ、表中に収まるよう適当に縮めたものです。
国名 | 官名 | 副官名 | 戸数 | 里程 |
---|---|---|---|---|
對馬 | 卑狗 | 卑奴母離 | 千餘戸 | 海渡千餘里 |
一大 | 卑狗 | 卑奴毋離 | 三千許家 | 海渡千餘里 |
末盧 | 四千餘戸 | 海渡千餘里 | ||
伊都 | 爾支 | 副官二名 | 千餘戸 | 東南五百里 |
奴 | 兕馬觚 | 卑奴毋離 | 二萬餘戸 | 東南百里 |
不彌 | 多模 | 卑奴毋離 | 千餘家 | 東行百里 |
投馬 | 彌彌 | 彌彌那利 | 五萬餘戸 | 南水行二十日 |
邪馬壹 | 官四名 | 七萬餘戸 | 南水行十日陸行一月 |
ご覧のように、この表には空欄があります。つまり、パズルの答えとしては不完全ということになります。無論、空欄もまた一つのピ-スとする見方もあります。つまり、陳寿の用いた資料には最初からそれ等の情報が無かったとする見方です。しかし、これでは単に水掛け論を招くだけで話の進展へとは繋がりません。また、それ等を脱字等によるとする見方も同じような結果を招きますから、ここではそうした見方等は後に回して、先ずはこれを陳寿自身のミスと見做して話を進めることとします。
末盧国の官を探せ
「倭人伝」によれば、邪馬台国は倭の三十ヵ国を束ねる盟主国とあります。従って、そこには邪馬台国が三十ヵ国を束ねるために設けた国々の仕組みあるいは制度が当然あるはずです。そして、それらの制度にはそれらの基となる何らかの決め事もまたあるはずです。
そこで、先ず最上段の二番目の項目、官名の卑狗に注目してください。この官のある国は、對馬、一大といった遠隔の島国です。また、邪馬台国の敵対国狗奴国にも狗古智卑狗があることから、卑狗は自由裁量権を認められたかなり身分の高い者の官職名と見ることができます。又、ついでということではありませんが、すこし付け加えますと、狗奴国もかっては邪馬台国の一員であった可能性があります。
次いで三番目の項目、副官の卑奴毋離に目を遣りましょう。この官があるところは、對馬、一大、奴、不彌の四ヶ国となっています。この中で奴の二萬餘戸を除けば、あとは對馬と不彌の千餘戸と一大の三千許家という具合にすべて単位が千戸代となっています。
そこで、今度は仮説、最初の仮説ということになります。これを立ててみましょう。
● それは、卑奴毋離は戸数一万に満たない地域に置かれた官職だとすることです。
そうすると、伊都の千餘戸と奴の二萬餘戸とがこの仮説に当てはまらなくなります。この場合、奴は当てはまらない方が都合が良いのですが、伊都が当てはまらないのでは都合良くありません。しかし、幸いなことに「…伊都國、戸万餘…」とする『魏略』逸文があります。下は、日本に伝わる「翰苑巻三十」に残るその『魏略』逸文です。なお、これは岩波文庫からの抜粋です。
従帯方至倭、循海岸水行、歴韓國、到拘邪韓國七千里。始度一海千餘里、至對馬國、其大官曰卑狗、副曰卑奴、無良田、南北市糴。南度海、至一支國、置官、與對同、地方三百里。又度海千餘里、至末盧國、人善捕魚、能浮没水取之。東南五百里、到伊都國、戸萬餘、…
通説では、「魏志倭人伝」は『魏略』を参考にしているとも言われているのですが、伊都国の戸数に関してはなぜか違えているようです。しかし、そもそも「魏志倭人伝」は伊都に対しては、中国の使者が留まったり、一大率が置かれてもいる倭国においては特別な国として書き分けているのですから、對馬や不彌と同じ千餘という戸数を宛がうのでは最初からして不自然の極みです。ここは、『魏略』逸文どおり伊都国を万餘戸とするべきでしょう。そうしますと、仮説に当てはまらないのは奴国だけとなり、奴国が取り除けるという可能性が出てまいりました。そこで、どうすれば奴国が除けるかということになるのですが…。
面白いことに、『古事記』の国生み神話に「吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り合わぬ処に刺し塞ぎて、国土生みなさむ」とあります。つまり、この神話と同じ事をここで試みようというのです。そこで、表1aを見てください。一番最初に何に気づかれますか。それは、末盧国にだけ官名の記載がないということではないでしょうか。そう、末盧国には成り合わぬ処があるのです。
さて、その末蘆国ですが、「倭人伝」の中での末盧國に関する情報は、奴や不彌や投馬の国々よりも多いのです。しかも、對馬や一大の国々の記事と同じように、見聞によったと思えるほどの詳しい記述です。従って、記載漏れや官名の報告漏れがあったとは到底考えられません。そうなりますと、末盧國の官は陳寿の編纂過程で何処かへ紛れ込んだか、誤用されたとする他はないのです。
それでは末盧国の官は何処へいったのだろう。もしこれが誤用されたのだとしたら、何処かにそれによる不都合が生じているはずです。そう、末盧国の官は隣の奴国へいったのです。末盧国の戸数は四千餘。これは仮説条件では卑奴毋離が存在する国に当たります。逆に、奴国は戸数二萬餘で卑奴毋離の存在しない国に当たります。つまり奴国にとって、官の卑奴毋離の記載記事は不都合を生じさせる余分な記事なのです。
どうやら国生み神話のように奴国の余分なものを末盧国の足りない処にあてがえば、仮説は不都合もなく完成するようです。
そこで、表.1aを改めて書き直し、表.1bとしておきましょう。なお、国順を一部変更しています。
国名 | 官名 | 副官名 | 戸数 | 里程 |
---|---|---|---|---|
對馬 | 卑狗 | 卑奴母離 | 千餘戸 | 海渡千餘里 |
一大 | 卑狗 | 卑奴毋離 | 三千許家 | 海渡千餘里 |
末盧 | 馬觚 | 卑奴毋離 | 四千餘戸 | 海渡千餘里 |
不彌 | 多模 | 卑奴毋離 | 千餘家 | 東行百里 |
伊都 | 爾支 | 副官二名 | 千餘戸 | 東南五百里 |
萬餘戸 | ||||
奴 | 二萬餘戸 | 東南百里 | ||
投馬 | 彌彌 | 彌彌那利 | 五萬餘戸 | 南水行二十日 |
邪馬壹 | 官四名 | 七萬餘戸 | 南水行十日陸行一月 |
この表は戸数に従って、戸数の少ない国を上へ戸数の多い国を下へと順次並べていったものです。そうすると、副官の卑奴毋離が上部の千戸代の組に全て収まり非常にすっきりとしたものになります。それに、新たな何かがまた見えてもきたようです。例えば、千戸代を全て加えると萬餘戸となります。これに『魏略』逸文の伊都国萬餘戸を加えると奴国の二萬餘戸が出ます。この二萬餘戸に投馬国の五萬餘戸を加えると邪馬台国の七萬餘戸が出ます。
どうやら、パズルはまだまだ進展するようです。
「記紀」の設計図、表1、表2、表3。
『古事記』と『日本書紀』は、歴史家や文学者やその他の専門家といわれている人たちによって語りつくされている観があります。しかし、謎は残されたままです。それになにより、素人は未だ語ってはいませんし、一億分の一の検証が残されてもいます。
無論、素人に何が語れるのか、どのような検証が出来るのか、誰もがそう言うと思います。しかし、『記』と『紀』は共に日本最古の古典です。つまりは初めてのもの、当然、素人の手によるもののはずです。そう、『記』・『紀』に最も近いのは、素人なのです。
さて、「記紀」には設計図があります。最初の設計者は天武天皇と思われますが、最終的には太安万侶の手によるものと思われます。詳しくは太安万侶の遺産 記紀の設計図、略して安万呂の設計図というタイトルにてこれ以降何回かに分けて話していくことになります。
なお、ここに載せるのは、設計の基本となった19年7潤法という暦法から鳥瞰した干支が綾を為す歴史の世界です。話の中でこれが引き合いに出された場合はそのつどこれをご覧下さい。
干支年表
下は、三つの年表を干支の列が揃うように並べたものです。干支を挟んだ背景色を持つラインに注目しますとこの年表の凡その趣旨がわかると思います。
道。
道とは不思議なものです。道を行きますと。そう、例えば桃太郎さんが道を歩いて行きますと、先ずどこからか犬がやってきて伴に加わり、次いで猿がやってきて伴に加わり、最後には雉がどこからかやってきて伴に加わります。黍団子の威力といえばそれまでのことではございますが、私の場合は如何なる威力のせいなのでございましょうか。
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私が道を行きますと、前鬼が先ず伴に加わり、次に後鬼が伴に加わり、最後は五鬼が伴に加わったのでございます。と申しましても、このことは私のまったくあずかり知らぬことでございます。この話が都で出来上がった頃、私は伊豆山中の道なき道を百年近くもさまよっていたのでございますから。
思いますに、『続日本紀』の一行足らずの私の記事が道標となって、私の亡霊や巷説に足をつけ、日本国中の修験道を歩かせたのかもしれません。それにしても、私が呼び寄せたわけではないのですが、また私の後を追ってきたというわけでもないのでしょうが、伊豆にも葛城山があるしまつ。よっぽど歩きやすい道だったのでしょうか。今となっては追い返すこともできません。
道は歩きやすいに越したことはありませんが、あるのはペンペン草程度が良いようでございます。なまじっか妙な標識や看板などがありますと、道を間違えてしまいます。月極駐車場に月極大臣。月極めジッチャンネルに月極憲法解釈。
『老子』には「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ずる」とあります。
間違えた道からでも万物は生じるものでございます。私の例を引き合いに出すまでも無いことですが、今や、私の足跡は日本全国津津浦浦にございます。
思いますに、道にはつまらないものは作らないのがよろしいようでございます。万物が生じてからでは、直しようもございません。国会議事堂にホワイトハウス。相対性理論にヒッグス粒子。
世界に日陰を生じさせるもの、科学に迷信を生じさせるもの。そういったものは造らないようにしましょう。
・∙∙∙∙∙∙ ✪ ∙∙∙∙∙∙・
そこで、つまらない物を造ってしまい、つまらないものを生じさせてしまった皆様。
これらを取り除く特別な呪文を お教えいたしましょう。
色即是空 空即是色
因果は巡る風車 チンチンポイポイ ポイ捨て
要らないのいらないの 飛んでけー
結構でございました。