玉砕の島。(どこ吹く風 d11 社会と意識)
遠い昔、沖縄は西表の島をさまよったことがあります。下に載せるのはその時の事を思い出しながら書いた記事です。その記事を書いてから既に3年。西表からだと40年以上が経過しています。時の流れというものは、本当に早いものです。
「時が解決してくれる」 昔何度も聞かされた言葉です。しかし、解決できないものがあります。益々複雑になって行くものがあります。古い話でございますが、暇ならどうぞお読みください。誠惶誠恐、頓首頓首。
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かって、日本は太平洋のあちこちに玉砕の島々を築いた。ガダルカナルより始まるこれらの島は、赤道を越え、フィリピンを越え、グァム、テニアン、サイパンへと続き、硫黄島を経て沖縄で終わる。それらは、あたかも日本を終戦あるいは敗戦へと導く一里塚のように日本に向かって連なっている。
それにつけても、不思議なことには、多くの悲劇を抱えたはずの島々なのに、何故かそれらの島々はすべて美しい珊瑚礁を抱え、玉を散らしたようにその海面を輝かせている。
最近、日本の世論の中に沖縄の米軍基地存続を当然視する声が増えているとか。その一等の理由が中国脅威論とか。確かに、尖閣での中国との軍事衝突は避けられないものかもしれない。しかし、そのことと沖縄の在日米軍存続とは何の因果関係も無い。
そもそも米国は、なぜ長い間沖縄を占領し続けたのか。
日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに吾等の決定する諸小島に限られなければならない。
以上はウィキペディアに載る『ポツダム宣言』の内容の一部です。これによると、当時沖縄は日本の固有の領土とは認められてはいなかったようです。今日、尖閣問題が取りざたされているようですが、本来なら沖縄が取りざたされなければならないのかもしれません。つまり、もし沖縄に米軍基地が必要であるとするならば、それは沖縄が独立した場合にのみ限られることではないのだろうか。
アメリカの欲、日本の欲、そして中国の欲、沖縄は再び玉砕の島へと追いやられている。
そもそも、沖縄に住む者以外の者に、沖縄に米軍基地が必要などと言える資格や権利などありはしない。
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なぁーんも なぁーんも
寛容 寛容
へば 寛容
何事も寛容寛容へば寛容、誠惶誠恐、頓首頓首。