古代雑記

一億分の一の検証  昭和枯れ芒、素人のつぶやき。

安万呂の道標、その2。

二元論と五元素  古代人はあらゆる物を二つの元素に分けました。また、古代人はあらゆる物を五つの元素にも分けました。一見矛盾しているようにも感じますが、物には裏と表があります。言い直しましょう。古代人はあらゆる物を陰陽に分けました。無論、五つの元素をもです。

 陰陽五行の循環  陰陽思想は、あらゆる事象を陰陽の消長盛衰で説き、五行思想は、あらゆる物質の生成消滅を五行の相生相剋で説きます。
f:id:heiseirokumusai:20170626224601g:plain左1.図は陰と陽の消長盛衰を十二支の循環で表したもの。ただし、私の作図です。2.図は普通に見られる五行の相生相剋の循環図です。どちらも意味するところは、止まることのない変化の循環です。陰陽も五行も常に時間と共に変化しています。
 したがって、ある時点でのそれを知るには、それを捉える道具が必要となります。その道具が次に示す易です。道具としての易の操作は非常に単純ですが、その指し示しているところの卦から必要な情報を得るには多大の知識と連想が必要とされます。なお、ここで取り上げるのは易というよりもその基本となる八卦であります。

八卦と爻  八卦とは八種類の卦の総称です。卦は三つの爻の組み合わせよりなります。爻は、陰か陽かのどちらかで出来ています。したがって、三つの爻の組み合わせは、2×2×2=8となり、卦は八種類となります。なお、易は、この八卦二つの組み合わせ、8×8から出来る六十四種類の卦を利用したものです。
f:id:heiseirokumusai:20151102010631g:plain 八卦にはそれぞれに名前があります。乾・坤・震・巽・坎・離・艮・兌がそれです。これらは、自然や家族やその他の関係に置き換えられ易占で利用されます。例えば、乾は天あるいは父、坤は地あるいは母というふうにです。
f:id:heiseirokumusai:20151102010900g:plain  4.図は、八卦方位図に自然と家族を配当し、『山海経』等の言う四つの門をも同時に示したものです。八卦の方位は、いわゆる後天図の配当になっています。
 なお、八卦方位図にはもう一つ先天図と言われるものがあります。そもそも、後天と言う呼び名はこの先天図が出来たためそう呼ばれるようになったものです。これが出来たのが、11世紀の北宋の時代、邵雍(しょう・よう)の創作と推測されています。したがって、奈良時代には存在せず、ここでは省きます。なお、易に関してはウィキペディアにかなり詳しくあります。

八卦方位図と大和  それでは、この方位図を使って大和を少しのぞいてみましょう。
f:id:heiseirokumusai:20151102011054g:plain  左の5.図は、大和三山に家族を配当した方位図をあてがったものです。万葉集の有名な歌、あるいは可笑しな歌、中の大兄の三山の歌をこれで解釈してみましょう。普通は、畝傍山を女性と見立てています。方位図では、畝傍山は妹もしくは母となり、この見立てに適合します。
 妹と見た場合、耳成や香具山は兄となります。当時、夫が妻を親しんで呼ぶのに″いも″という語を用いていました。また、妻から夫に向けては″せ″を用いていました。この″いも″と″せ″、当時の漢字表記では″妹(いも)″と″兄(せ)″となるのです。そうなりますと、中の大兄は中男、つまりは耳成山ということになります。
 『日本書紀』によれば、長男は古人大兄皇子、少男は大海人皇子かあるいは蚊屋皇子のどちらかとなります。なお、少男とは末子のことで、それ以外は長男を除いてすべて中男となります。
f:id:heiseirokumusai:20151102011325g:plain  一方、母とした場合は、財産をめぐっての兄弟争いということになりましょうか。なお、このやり方は、方位図の中心をどこに置くかによって解釈が違ってきます。6.図や7.図のようなやり方もあります。しかし、この場合でもそれぞれの性別は変わりません。ただ、方位図の中心を藤原宮においた場合、畝傍と耳成はいいのですが香具山が長女となってしまいます。
 立場が変われば、人も変わり、占いもまた変わる。人の世の宿命でしょうか。それとも、あるいは、あたるも八卦、あたらぬも八卦ということなのかもしれません。しかし、そうだからと言って、必ずしも常に駅裏の易占いになるというわけではありません。と申しますのも、この方位図、陰陽の羅針盤とも言えるものだからです。しかし、安万呂の道標を踏破するには、今少し準備が足りないようです。

 最後に、三山の歌の解釈、色々とあるようですが、珍説を一つ紹介しておきましょう。
f:id:heiseirokumusai:20151102011453g:plain  耳成山の謂われについては、この山がほぼ円錐形で裾野を持たない、つまりはパンの耳のような余分の出っ張りの無い姿からきているとされています。
 持たない者が、持とうとする。これは自然の成り行きです。三山の中で、最も多くの耳を持っているのが香具山です。当然、耳成山はこの山から取ろうとするでしょう。
 さて、香具山が耳成山より守ろうとした畝傍山ですが、この畝傍の謂われは、裾野が畝のようになっている姿からきているとされています。裾野は山の耳で端、つまりは嬬でもあります。どうやら、“嬬”争いとは言っても、この場合は“妻”争いではなく“端”争いのようです。最後にこの歌の原文を載せておきます。

高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉
かぐやまは うねびをおしと みみなしと あひあらそひき かみよより かくにあるらし いにしへも しかにあれこそ うつせみも つまを あらそふらしき

 

 斑鳩東方朔 ≪陰陽の風 02≫