みわ山。
世間は私のことを修験道の祖などと誤解しておられるようですが、私は先祖代々公共土木を担当するしがない役人の一人に過ぎないのでございます。ただ、その当時一世を風靡していたフジワラノミクスに異を唱えただけなのでございます。
今もって脳裏に焼きついてございますが、それは大変な工事でございました。何せ、赤駒の腹ばう田居を都にするのでございます、多くの役民が犠牲となりました。思い出すのもつろうございますが、私はその役民を監督する立場にあったのでございます。
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思いますに、フジワラノミクス以前は、宮作りや寺作りが役民の主たる仕事でございました。各地から集められた役民は、畿内の主に河内と大和でございましたが、宮地や寺地に分散させられ、それぞれの作業に従事していたのでございます。
また、宮や寺の用地はほとんどが高台に準備されてございました。これもできうる限り田畑を避けるべく配慮されていたためでございます。そのため、畿内には田畑に適した平坦な土地がたくさん残っており、役民のほとんどはそのまま畿内に留まり農民として暮らしていけたのでございます。また、それが古墳作り以来の政府の方針でもございました。
しかし、この度のフジワラノミクスの方針は当初からそれらとは様相が異なってございました。広大な都市計画用地から先ず農民を追い出し、次いで役民を一箇所に集めたのでございます。とうとう、役民インフレが始まったのでございます。徴発し、連行して働かせてしまえば後はほったらかし、徭役を終えた役民は即各人の故郷に帰らなければならなかったのでございます。
しかし、帰るとはいっても貨幣制度の無かった時代、宿も商店も無かった時代のことでございます。多くの農民が路上にゆきだおれたのでございます。また、田を追われた農民達も遠隔の地に移動しなければならず、その多くは路上の露と消えたのでございます。
思うに、フジワラノミクスは強者をさらに強くし、弱者をさらに弱くするという政策でございました。弱者は強者に利用されるだけ、病に倒れようと、路上に倒れようと顧みられることは無かったのでございます。しかも、中央では役民と、その役民の行き倒れに溢れ、地方では一家を支える働き手の不足に喘ぎ、中央と地方の格差は日増しに広がるばかりでございました。ついに、インフレ格差、デフレ格差の嵐が日本列島に吹き荒れたのでございます。
かって私は、この造都の計画の持ち上がった天武天皇の初めの頃、この計画には上記のような恐れがあるとして、計画中止を進言して了承されたことがございました。しかし、今回は無駄でございました。それで私は、せめて造都の犠牲になった人々の霊だけでも都の鬼門に当たる三輪山に祭るように政府に進言したのでございます。また、そうしなければ、それらの霊が鬼神となって都に害をなすとも進言したのでございます。
しかし、政府は、弱者の霊など恐るに足りぬと突っぱねたのでございます。いやはやフジワラノミクスは霊魂の世界にまで浸透していたのでございます。なぬともはや、フジワラノミクス時代の靖国神社、それが三輪山だったのでございます。
それで、私はこれらの霊を我が母なる葛城山に祭ったのでございます。実を申せば、この山は立派な裏鬼門の山だったからでございます。当時、裏鬼門を知る者は居らず、私事としての裏鬼門祭りでございました。しかし、この事はやがて人の知るところとなり、葛城山に鬼神が居るとの噂に変わり、今日伝えられている金峯山と葛城山との間に橋をかける行者の話となったのでございます。
考えてもみてください、孔子様でさえ〝鬼(神)に仕えることあたわず〟と述べられています。どうして私のような未熟者に鬼神がこき使えましょうか。また、先祖代々の職掌とはいえ哀れな役民を使うことに戸惑いを感じ、優婆塞となって葛城山にこもった一介の私人、どうして金峯山と葛城山との間に橋などかけられましょうか。それに、聞きますれば今日に於いてさえ地方道に橋がかけられないと言うではありませんか。
今思いますに、フジワラノミクスと浮かれていますうちに三輪山法案が成立し、私は体よく伊豆に追いやられたのでございます。しかし、考えてもみて下さい、国を支え、藤原の都を作ったのは名もなき役民でございます。今日では、外国人労働者とか。
それにしても、聞きますれば、靖国神社にはこの国を支えた名も無き戦災庶民の霊が祭られていないとのことですが、千数百年を経たこの国の形、何ら変わっていないということは藤原政権いまだに健在ということなのでございましょうか。
ところで、『古事記』では三輪山の神が巻子紡麻(へそを)を三勾(みわ)残したといいます。今、政府与党のおかみは三本の矢を残そうとしています。インフレ経済成長に憲法改正に博打法案、どれも残ってほしくないものばかりでございます。
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藤原の身駆使ならぬ阿部の身駆使に呪われた皆様。また、これをお読みの皆様方にだけ
三本の矢を払う特別な呪文を お教えいたしましょう。
色即是空 空即是色
因果は巡る風車 チンチンポイポイ ポイ捨て
要らないのいらないの 飛んでけー
結構でございました。
少々遅れ馳せの気もいたしますが、誤解の無いよう申し上げておきます。この呪文はオカマになるための呪文ではございません。なにとぞ誤解の無きように。