昭和は遠くなりにけり

古代に思いを馳せ、現在に雑言す。・案山子の落書・

天武はん。

 このコーナーは本来記事カテゴリーとしては「古代雑記」の役君小角の一言コーナーというものでした。しかし、現ブログからこうした記事は全て「平成雑言」に取り込むこととしました。従って、内容は「古代雑記・安万呂の設計図」と併せ読まないと分かりづらいと思いますので少し説明をつけておきます。また、「古代雑記・安万呂の設計図」もいずれ掲載することとなりますので、興味のある方はお読みください。

 これは私論ですが、私は天皇即位、正確には即位の礼つまり即位の令というのは飛鳥浄御原令の施行以後のことではないかと思っています。浄御原令の施行は持統天皇即位の前年ですから、天武以前の天皇というのは正式に即位した天皇ではないことになります。そして、このことは逆に神功皇后天皇であったとしても何ら差し障りのないことをも意味することになるのではないかと。
 なお、「記紀」が神功皇后天皇と表記しないのは彼女が皇女ではなかったからだとおもいますが、このコーナーはいわゆる史実抜きの雑言ですので、そのつもりでお読みください。

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 イヤー、天武はん。懐かしいでんナー。天武はんの名聞くと忘れてしもうとった大和言葉が口から出てしようがおまへんわ。
 ここだけの話でおますが、天武はんは物言いが少々難儀でおましてな、それでおかあはんと嫁はんがいつもついとりました。天武はんが即位したという話は聞いたことがおまへんが、天武はんは死ぬまで大和では一番偉い方でおられました。それになにより頭がよろしゅうおましたなー。ありゃー、仏像はんそっくりでおましたなー。

 ところで、誉津別命をご存知でおましゃろか。あの垂仁はんの話に出てくる皇子のことでおます。あれは火から生まれた金銅の仏像はんの話でおます。なんせ仏像はんはものはしゃべりまへんさかい。そうそうこの話、天武はんが元となってんのと違いまっしゃろか。それに応神はんもよう似とりますなー。お母はんの神功はんなんぞ、それこそ天武はんのお母はにんそっくりでおますわ。
 思いますに、神功はんがずっと天皇はんやっとたんで、応神はんが天皇になれんかったというのがほんまの話と違いますかいな。

 そうそう何で神功はんが新羅に勝てたか知っとりまっか。それは神功はんが女子だったからですわ。仲哀はんもオカマやっとたら熊襲にも勝てたし新羅にも勝てたし死なんでも済んだのに、ほんまに仲哀はんはオカマの恰好して熊襲タケルを倒した倭健の子ども何やろか。

 そうそう肝心なこと忘れていてしまいおった。十七条の憲法あれはなあ、天武はんが東宮やっとた頃に作ったんでっせ。よう出来ておまっしゃろ。あの頃はほんまに良かったですわ。それが藤原はんに変わったとたん、増税インフレ、挙句の果てに伊豆に島流しでおます。大宝律令の恩恵にもあずかれず、ほんまにかにゃしまへん。それにこの大和言葉?むずかしゅうてかないまへんわ。このへんでやめさせてもらいますわ。

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さてもはや、大和言葉でもなく、標準語でもなく、オカマ語でもない、チンポイ語なる例の呪文を唱えましょう。

色即是空 空即是色
 因果は巡る風車 チンチンポイポイ ポイ捨て
  要らないのいらないの 飛んでけー

結構でございました。