昭和は遠くなりにけり

古代に思いを馳せ、現在に雑言す。・案山子の落書・

働かせ方改革法案。

 働き方法案なるものが国会で討議されたとか。しかし、この法案、庶民からの議案ではなくお上や企業からの議案らしい。
 そうすると、働き方法案ではなく働かせ方法案が正しい呼び方ではないかと。

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 島流しの身の上、働かせ方法案が正しいなどと申せる立場にはありませんが、私も役君と呼ばれているように嘗ては庶民を働かせていた者にございます。そもそもこれは庶民のための法案なのか、それとも企業のための法案なのか、どちらとも分からない焦点をはぐらかしたような法案、見過ごすというわけには参らないのでございます。また、口幅ったいことを言うようですが、働く方を改革するのではなく働かせる方を改革するというのが審議の正しいやり方ではないかと。
 えっ、どちらをも一緒に改革するって! それは可笑しい。物事には順序というものがございます。上先ず正せば、下おのずから正されると。やはり、先ず働かせる方から改革するべきかと。

 ところで、私の後輩とは言っても一度も合ったことはないのでございますが、佐伯今毛人(さえきのいまえみし)という男がいます。佐伯今毛人は、人を働かせることにかけては右に出る者がいないと言われたほどの男で、造東大寺長官を三度も勤め上げ、聖武天皇からは「東大居士」の愛称をもらったほどの辣腕家でございます。
 ただ、その佐伯今毛人も今日での評価は必ずしも芳しいなどと言えるものではないようでございます。と申しますのも彼の人の働かせ方なのですが、伝えられるところではすこぶる「方便」をもって役夫を働かしたとあるのです。つまり、今日的な解釈が「方便」になされているからでしょう。

 思いますに、「方便」という言葉は、今日ではあまり良いようには解釈されていないようでございます。しかし、本来これは仏教用語でございまして、佐伯今毛人の生きた奈良時代には「方便」を語ることが僧侶の重要な務めの一つでもあったほどなのでもございます。また、逆に申せば僧侶のようなものでなければ「方便」は語れなかったということでございまして、仮にそれ以外の者が語ったとしても誰も随うことはなかったということでございます。
 さて、そうなりますと、また佐伯今毛人の「方便」に役夫が随ったということになりますと、取りも直さず佐伯今毛人は「方便」を語るに適う人物という事になるほかはないようでございます。彼の愛称「東大居士」の「居士」は正にそうしたことを物語っているからこそ付けられたものなのです。

 佐伯今毛人が具体的にどのようにして人を働かせたかは分かりませんが、伝えられているところによると彼は聖武天皇の年毎の命、おそらく東大寺造営の年間予定に関しての要請と思われますが、これを毫釐もちがえなかったということです。
 思うに、今毛人は律儀な人柄であったのかも知れません。加えて居士つまり私と同じ優婆塞の身であったと思われますから、あるいは東大寺造営を仏道修行と見做していたのかも知れません。おそらく彼は、義理堅く、また約束を違えたりはせず、そして常に率先して働いていたということだったのかも知れません。

 天平17年(745)、東大寺盧舎那仏像鋳造に先立って聖武天皇はその基壇の土を率先して運んだといいます。この率先という行為、もしかしたらこれは天皇が佐伯今毛人を真似た結果なのかも知れませんし、あるいは逆に今毛人が天皇を真似た結果なのかも知れません。いずれにしても、これによって基壇はつき固められ鋳造は予定通り完成を迎えたのです。
 思いますに、佐伯今毛人が人をよく働かせることができたのは、彼が謹厳実直な優婆塞であったという事と、そして何より自らが率先して働いたという事によるものでしょう。今毛人が生きたのはいわゆる古代です。古代ではそういったものが先ず大事だったのです。

 しかし、時代が降れば、人はそれだけではつき従ってくることはありません。今や、金が人や社会を動かす時代。加えて、休まず、怠けず、働かずといった三ずの神器ならぬ三ずの仁義を信奉する時代です。
 さて、そうした時代を動かした二人の人間がいます。織田信長豊臣秀吉です。この二人は佐伯今毛人の長所に加え、必勝必罰をもって天下を統一に導き、そして統一を完成させてもいます。
 しかし、彼らが本当にその時代を全うしたか如何か、それは疑問です。信長は明智光秀の謀反に遭い、秀吉は子飼いの家臣同士の反目に拠り豊臣家滅亡の憂き目に遭っています。画竜点睛を欠くと申しましょうか、この二人には欠けたものがあったのです。それは公平さです。特定の者をえこ贔屓しないという公平さです。
 信長の光秀に対する仕打ち、これもある意味でのえこ贔屓です。そして秀吉の石田三成に対してのえこ贔屓。えこ贔屓ぐらい人に嫌われるものはありません。確か、韓国では大統領のえこ贔屓が原因で国を揺るがす大事へと発展していったとか。

 ところで、聞くところに拠りますと、何でもどこかの国の大統領、どこかの国の総理大臣が特定の国や特定の団体にえこ贔屓をしているとか。そうでなくても不平等の世の中、せめてえこ贔屓だけは止めてほしいものでございます。

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さてさて、えこ贔屓の恩恵に預かれなかった皆様。
せめてecoの運動に参加して、ecoの音頭でも謳いましょう。

色即是空 空即是色
 因果は巡る風車 チンチンポイポイ ポイ捨て
  要らないのいらないの 飛んでけー

結構でございました。