昭和は遠くなりにけり

古代に思いを馳せ、現在に雑言す。・案山子の落書・

平和と平和の間。

 最近というか、大分前よりフェイクニュースという言葉をよく聞くようになりました。これもその一つだったとは思いますが、巷ではトランプがシンガポール金正恩を生け捕りにしてマレーシアに引き渡すという金正恩捕獲大作戦なるものの噂で持ち切りとか。ただ、シンガポールはマレーシアに取り囲まれているような国ですので、マレーシアとは国交断絶の状態にあるとされる北朝鮮金正恩がどのようにしてシンガポール入りをするのか、これもまた見ものだと騒がれてもいるようだと、まあ最近というか、当時のフェイクニュースはなかなか面白いようでございました。
 それにつけてもシンガポール、死ンガポールとも書けるのが少々気になるところではございますが、フェイクニュースはともかく、平和のフェイクだけは勘弁願いたいものでございます。これも古い話ではございますが、長ったらしい話でございますが、暇と平和のある方はどうぞお読みください。誠惶誠恐、頓首頓首。

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 最近、平和への行動、平和への貢献といった言葉が盛んにおかみの方から聞こえてまいりますが、平和という言葉は、昭和枯れ芒からすれば水戸黄門さまのご印籠のようなものでございまして、目の前に押し出されますと、ただただ、ハァ・ハァーと平伏せざるを得ないようになってしまうものなのでございます。ですから、弱い者の味方の黄門さま以外はめったやたらとひけらかすことだけは御遠慮願いたいものでございます。

 ところで、黄門様のご印籠でございますが、私、中身の程は丸薬以外はあまりよくは知りません。実は、平和についてもそうなのでございます。中身について何も知っていないことがつい最近になってから分かったのでございます。と申しますのも、お上の掲げる平和と市民の掲げる平和とでは、どうも、指し示している方向が全く違っているようなのでございます。そこで、ウィキペディアで平和の項を見てみますと、次のようにございました。

平和とは、一般には社会の状態が戦争や内乱、騒擾などで乱れていないこと。現実的には国家の抑止力が内外の脅威を抑止している状態の事である。史学的には戦間期とも表現され、戦争終結から次の戦争開始までの時間を意味する。

 どうやら平和とはつかの間の春、あるいは氷河期の間氷期のようなもののようでございます。そこで、この項の先をもう少し見てみますと、次のようにございました。

現代でも国家間の軍事力の均衡が戦争を抑止しているという状態は変わらず、戦火を交えなくとも外交や経済を主軸とした、国家間の生存競争は絶えず行われている。異なる国家が隣接して国境が策定されている場合は、おのおのの国家が軍隊を組織して常時国境を挟んで軍事的緊張を保っており、軍事力の均衡がまったくない平和は存在しない。

 これが一般的な、過去のデータによった平和の正体でございます。なにともはや、昭和枯れ芒の私には理解しがたいことではございますが、過去のデータが示すように確かなことなのでございましょう。それにしても、平和が軍事力の均衡の間にあるなどということは考えても見なかったことでございました。しかし、それならば市民の掲げる非軍事の恒久平和は何処にあるというのでございましょうか。どうやら、一億分の一としては一億分の一の検証をしなければならないようでございます。

 先ず、過去のデータですが、これは当然歴史からのデータだと思います。しかし、歴史は勝者が書き残すと申しますように、このデータは人類の歴史の半文の価値しかありません。しかも、勝者側の中にも敗者のいるのがこの世界の国家のありようです。そうなりますと、さらに価値は半減してしまいます。今となっては敗者側の歴史をすべて復元することは不可能ですが、幸い日本の一部のデータを拾い上げることは素人にも可能です。
 かっての日本は日清・日露と戦争に明け暮れていましたが、戦場が国外、しかも勝利の連続で国内は平和そのものでした。戦力は、常に世界の均衡の上を目指し、増強に増強を重ねていました。そして最後には、自国の戦力に勝る国家との戦争に踏み切ったのです。
 単純かつ、あるいは短絡的な結論を述べさせていただきますと。やはり、ウィキペディアの述べている情報はデータ不足のいわゆる机上論に過ぎないことと言えそうです。なぜなら、戦前の日本の平和は、戦争に勝利している時の平和が一番いい平和だったように見えるからです。また、戦後のアメリカは国外で戦争をしていますが、国内は平和そのものです。従って、ウィキペディアの述べるような「社会の状態が戦争や内乱、騒擾などで乱れていないこと」が平和の条件だとしたら、世界に平和は存在しないことになります。また、それでも平和が存在するのだと言うのであれば、それは勝利者側の平和と言うほかはありません。
 また、全世界の歴史という立場にたてば、戦争の無かった時代は無く、戦争の無い時代を平和の時代だとしたら、平和は何時の時代にも無かったというほかはないでしょう。したがって、戦争と戦争の間に何かがあるのだとすれば、それはやはり戦争でしょう。しかし、そう言っていられるのはそれほど長い間ではないかもしれません。核の時代、覇権国家覇権国家との戦争の間には、もう何も無いでしょう。

 第二次世界大戦後、大規模な戦争は起こっていません。これはウィキペディアの言う軍事力の均衡によるものではありません。ただひとえに、核戦争への恐怖からです。そもそも核以外の軍事力の均衡で平和が保たれたという話を私はまだ聞いたことがありません。例えばドイツ、この国は第一次世界大戦で軍事力のほとんどを失っています。この時期のヨーロッパの平和は軍事力の均衡の上でのことではありません。いわゆる勝者の平和なのです。その証拠に、敗戦から立ち直ったドイツは、軍事力を拮抗させるや直ちに第二次世界大戦を引き起こしています。軍事力の均衡による平和というのも所詮は机上の空論に過ぎません。また、覇権国家による強圧的な平和と秩序の維持も、かっての日本が戦争に突き進んだ例もあるように抑えきれるものではありません。むしろ戦力的に劣る国の方が戦争に踏み切る確率は高いと見なくてはなりません。
 そもそも、軍事力の均衡の上に平和が築けるなどと言うのはまやかしです。なぜなら、軍事の目的は戦争遂行が主目的だからです。もし、政府の掲げる、平和への行動、平和への貢献が軍事への行動、軍事への貢献だとしたら、得られる平和は勝者の平和か敗者の平和かのいずれかということになります。いずれにしても、多くの犠牲の上に得られる平和です。すなわち、軍事力による平和は多くの生贄を必要とする前世代的文明とでもいうべき考えに基づく方法なのです。しかし、それにもかかわらず、次世代を担おうという若手議員の中にこうした前世代的な考えを支持ている者がいるようですが、まことに情けないことと言う他はありません。

 世界は今や核ミサイルの時代、戦力によって平和が保たれるなどと思うことはすこぶる危険な考えです。小国でもある数の核ミサイルを持てば、大国と対等に張り合うことが可能となります。北朝鮮が核を手放さないのもそのためです。しかも北朝鮮は、かっての日本とは違い、国連の制裁を受けようとこれから脱退しようとはしていません。それは覇権国家の悪の論理を知っているからです。
 思うに、北朝鮮は歪な国家ではありますが、遅れた国という基準に照らせばかっての日本とそれほどの大差はありません。また中国にしても、海洋進出を活発化させているといわれていますが、中国が問題を起こしている海域はすべて大陸棚近辺でしかありません。かっての日本が赤道を越え、日付変更線を越えて空母やゼロ戦を送り込んだのとでは雲泥の差があるのです。ましてや、世界のあらゆる処にドローンを飛ばしてピコピコ爆撃を繰り返している覇権大国アメリカとは比べることさえ出来ません。
 最近の日本の考え方の中に、アジア諸国の中でいち早く欧米の仲間入りをした明治維新政府が持ったのと同じ驕りが見え隠れしているようにも見えます。安倍首相は戦後談話の中で過ちとは述べず失敗と述べていた箇所があります。失敗は成功の元ということなのでしょうか、それともアメリカと組めば失敗しないという意味なのでしょうか、少々気になります。

 それにしても世間とは不可解なものです。本当のような話がうそであったり、うそのような話が本当であったり、一見現実的に見えるものが非現実的であったり、非現実的に見えるものが現実的であったり、実に様々です。平和に対する取り組み方も、どれが実際に現実的であるのか、難しいと言わねばなりません。しかし、戦争と戦争、軍事力と軍事力との間にあるのは廃墟しかありません。また、軍事力の均衡による平和は、長引けば長引くほど軍事力も破壊力も増強され、核を用いなくとも戦争が可能となる事態に陥る危惧があります。
 一方、非軍事による平和ですが、これは一見非現実的にも思えます。しかし、これには大きな長所があります。それは、市民すべてが参加できるからです。市民が参加することにより、平和や安全は市民一人一人のものとなります。また、武器の無い手はあらゆる市民との握手を可能とし、平和のつながりを全世界に広げることも夢ではなくなります。そして、何よりも素晴らしいことは、平和と平和、非軍事と非軍事との間には紛れもない平和と理想があることです。

 それにしても、日本はいったい何時から平和への貢献と軍事への貢献とが同じになったのか。

 

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なぁーんも なぁーんも
寛容 寛容
へば 寛容