昭和は遠くなりにけり

古代に思いを馳せ、現在に雑言す。・案山子の落書・

民主主義の光と影。

 これも古い話でございますが、長ったらしい話というわけでは勿論でございますが、暇ならどうぞお読みください。誠惶誠恐、頓首頓首。

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 議会を取り巻く民衆の真っ只中、この法案は強行採決の末に可決された。この法案に反対する者にとっては民主主義は影なのか、賛成した者には光だったのか。

 いえ、どちらにとっても影でしかありません。光は、この法案に反対する国民が街頭に立ったということです。若者や学生が抗議のために街頭に立ったということです。
 60年安保、そして70年安保、若者や学生は過激に走り民主主義を離脱しました。今回はそういったことのないように、この光をオリンピックの聖火のように絶やすことなくつなげて行かねばなりません。
 おりしも選挙年齢が18歳に引き下げられた今、抗議のために街頭に立った若者や学生の議員を誕生させるチャンスが将にめぐって来たと見て取れます。即ち、60年、そして70年の安保の遣り残しを彼らに託すのも一億分の一の役割かと。

 日本は民主主義政治の国である。この政治体制は、今日、日本の誰もがあらゆる政治体制の中で最も優れたものだと認識もしているものです。しかし、自民党政権民主党政権という言い方があるように、この体制は政党の優劣を決める権力機構でもあります。つまり、日本の民主主義は正確には間接民主主義あるいは議会制民主主義といわれているものなのです。したがって、この政治体制を過信していると強行採決が行われ独裁政治と変わらなくなってしまいます。
 よく言われることですが、日本の議会制民主主義の運営は他の先進諸国に比べて非情に歪な状態で行われているとか。そしてその最たるものが強行採決とか。ただ不思議なことには、しかもこれに関しては原因が分かっているはずなのに、何故か誰もこれを直そうとはしないことです。そもそも、間接民主主義は民意が反映されにくい、議員ならば誰もが知っている事実です。それなのにその手直しを差し置いて憲法解釈を手直そうなどとは百年早いというもです。また、議会は議論を主目的とする場であって採決ましてや強行採決を主目的とする場ではありません。しかし、何故か日本の議員はここを採決の場としか見ていないようにも見えます。

 昔よく言われていたことですが、民主主義と日本国憲法戦勝国アメリカが敗戦国日本に押し付けたものだと。あるいは、そうだったのかもしれません。しかし、仮にそうだとしてもそれらは所詮道具とマニュアルにすぎません。大事なことは、それらを使いこなす技量です。
 古代、日本は大陸から道具とマニュアルを取り寄せ日本独自の文化の基礎を創り上げました。近世には、南蛮から道具とマニュアルを取り寄せ近代日本の基礎を創り上げ、明治そして戦後、日本はそれらの基礎の上に欧米から取り寄せた道具とマニュアルによって現代日本の基礎を築き上げたのです。道具は所詮道具です。使いこなしてこそ価値があるのです。

 国敗れて山河あり。人は国を失っても山川があれば生きてゆけます、道具とマニュアルがあれば立ち直れます。実際、戦後の廃墟の中から、日本はその道具とマニュアルを使いこなすことによって瞬く間に先進国へと進展していきました。その道具とマニュアルの中にアメリカが押し付けたという民主主義と日本国憲法があることを今の日本は忘れているように見えます。
 アメリカに協力したいなら、アメリカに恩返しがしたいなら、日本刀土俵入りではないが、アメリカの覇権主義に打ち勝つことが恩返しになるのではないだろうか。

 最後に一言。今の野党勢力には票を伸ばす力は無いように思えます。そこで、野党は協力しあって新しい党を若者や学生達につくらせるべきかと。

 

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なぁーんも なぁーんも
寛容 寛容
へば 寛容

何事も寛容寛容へば寛容、誠惶誠恐、頓首頓首。