古代雑記

一億分の一の検証  昭和枯れ芒、素人のつぶやき。

八卦と8。太安万侶の道標、その15

 造化三神に別天津五神、果ては神世七代。「記神話」は欲張りである。それにひきかえ中国では三皇五帝で終始しています。
 思うに、太極と両儀とで簡単に三神が出来ますが、四象を五神とすることは簡単には出来ません。「記神話」が苦労をしたことだけは確かでしょう。記神話 "天地の初めの時" 、これには編纂当初からいろいろの解釈があったようです。
 ところで、古今の日本において、7、5、3の他に、8も聖数とする慣習があります。8の使われ方は、特に古代においては、八島、八雲、八咫鏡、八十、八百万といった、とにかく数が大きいことを示すことに専ら使われているようです。しかし、それなら8がなぜ大きいものを表わすことが出来るのか、…
 思うに、それはやはり八卦が森羅万象を表わせるからでしょう。

国生みと8

古事記』神話では、国生みは先ず大八島を生み、次に六つの島を生んで完了します。この場合の八は文字通りの8で、6と共に地の数を示しているとも言えます。そこで、これを下の表のようにまとめてみますと、いろいろと面白いことが言えるようになります。

8島 6島
島名 別名 場所 島名 別名 場所
淡道之島 穂之狭別 内海 吉備児島 建日方別 内海
伊予之二名島 (四つの国) 内海 小豆島 大野手比売 内海
隠伎之三子島 天之忍許呂別 外海 大島 大多麻流別 内海
筑紫島 (四つの国) 外海 女島 天一 内海
伊伎島 天比登都柱 外海 知訶島 天之忍男 外海
津島 天之狭手依比売 外海 両児島 天両屋 外海
佐度島   外海  
大倭豊秋津島 天…豊秋津根別 外海  

 先ず、場所に注目しますと、内海のグループと呼べるものが6、外海のグループと呼べるものが8となっています。内海というのは瀬戸内海のことです。なお、四国の南部は外海にも面していますが、その呼び名を伊予之二名島としているように、古代人は四国を瀬戸内海側から捉えていることから、これは内海のグループとできます。また、そういう意味で九州筑紫島を見ると、これは外海のグループとなります。
 さて、国生み神話の最初の舞台が瀬戸内海だとしたら、実は内海に属する島は8となります。と言うのも、国生みの最初の段階で、伊邪那岐伊邪那美は水蛭子と淡島とを生んでいるからです。この二つを内海グループの6に加えれば8となります。
 次に、別名の中の"天"の付くものを探してみますと、7島ほど拾うことができます。このうち女島を除く残り全部が外海となっています。このことから、"天"の付くものは基本的に外海に属しているものである可能性が高くなってきます。そこで、別名の記載のない外海に属している佐度島にも"天"の付く別名があるとしたら、"天"の付くものがやはり8となります。
 しかし、それにしても、なぜ内海の女島に "天" が付いているのか。実は、これも8とかかわりがあるからなのです。
 "天" の付く女島を内海グループから引き離すと、淡道島から大島まで5島が残ります。このなかの伊予之島は4ヵ国で出来ていますから、伊予之島の代わりにこの4ヵ国を残りの4島に加えると8になります。女島を除くこの8は、言ってみればいわゆる四国エリアとも呼べそうです。つまり、女島は四国エリア外という意味で "天" を付けたのかもしれません。
 そして、そうなりますと、次に九州エリアと呼べるものがないのかということになります。
f:id:heiseirokumusai:20170710195847g:plain  筑紫島は伊予と同じ4ヵ国よりなります。したがって、残り4島を決めれば九州エリアの8が出来上がります。候補としては外海に並ぶ、伊伎島、津島、知訶島、両児島の4島が最適となります。両児島については正確な比定はされていないようですが、島の生まれた順序としては、この島は最後でしかも西の端ということであり、いずれにしても九州エリアということになります。それにしても、四国エリアにも九州エリアにも属していない女島は本州エリアと言う他はないようです。実際、図15aの四国九州エリアを取り除くと、女島は本州の西南端の外海にあるようにも見えます。
 それでは、佐度島と隠伎之三子島と女島大倭豊秋津島とで本州エリアを作りあげてみましょう。先ずと言っても、クリアすべき条件はたったの一つしかありません。その条件とは、大倭豊秋津島を5と数えることです。さて、『日本書紀』には四道将軍の話があります。四道とは基本的には四方を指します。四方、とは言っても現実にはどこかに中心を設けないと四方は存在しません。当時ですと、その中心は大和になります。つまり、大和と四道とで5となります。『古事記』には四道将軍の呼称の記載はありませんが、何とかの "道" に何がしの命を派遣したという話はあります。そもそも「記紀」の編纂された時代は、陰陽・五行・八卦が生きていた時代でもあります。あらゆる所にそれらの思想が入り込んでいる可能性があります。つまり、大倭豊秋津島に五方が完備して初めて国生みが完成するのです。

神生みと8

 八十神、八十万神、八百万神、「記紀神話」には神の多さを八を用いて表わしています。思うに、古代中国人は八卦を用いて世界を言い当てようとしていました。あるいは、古代の日本人は神を用いて世界を言い当てようとしていたのかも知れません。

A 1 大事忍男神
2 石土毘古神
石巣比売神
3 大戸日別神
4 天之吹男神
5 大屋毘古神
6 風木津別之忍男神
7 ⒏大綿津見神
8 速秋津日子神
速秋津比売神
B 1 沫那藝神
2 沫那美神
3 頬那藝神
4 頬那美神
5 天之水分神
6 国之水分神
7 天之久比奢母智神
8 国之久比奢母智神
C 1 志那都比古神
2 久久能智神
3 大山津見神
鹿屋野比売神
D 1 天之狭土神
2 国之狭土神
3 天之狭霧神
4 国之狭霧神
5 天之闇戸神
6 国之闇戸神
7 大戸惑子神
8 大戸惑女神
E 1 鳥之石楠船神
2 ⒉大宜都比売神
3 ⒊火之夜藝速男神
4 金山毘古神
金山毘売神
5 ⒍波邇夜須毘古神
⒎波邇夜須毘売神
6 ⒏彌都波能売神
7 和久産巣日神
8 ⒑豊宇気毘売神

 左は、「記神話」神生みのくだりを、神話の進展どおりに生まれた神々の名を上から下へと書き連ねたものです。ここで生まれた神の総数は40神ですが、なぜか記神話は国生みと神生みの段の最後のまとめとして、これを35神としています。この数え方についてはそれなりの理由があるのですが必ずしも明確というわけではありません。とゆうのは、記神話はAのくだりを10神、Bを8神、Cを4神、Dを8神、Eを8神と数えているためです。そう、これらを合わせると38神となってしまい、40神にも35神にも当てはまらなくなるのです。
 40神を35神と数える「記神話」の常套手段としては、"天地の初め"の段にもあるように男女一対の神を1神と数えることです。しかし、この条件を満たすすべての組み合わせにこれを当てはめると、Aは8神、Bは6神、Cは3神、Dは7神、Eは8神となり、合わせると32神と数え方としては最も少なくなってしまいます。また、Eの伊邪那美の同じ尿から生まれた彌都波能売神と和久産巣日神を男女一対神と見做せばさらに少なくなります。
 思うに「記神話」は、Aを10神、Bを8神、Cを4神、Dを8神、Eを8神と数えているように、地の数ここでは10・8・4ですが、その中でも特に8にこだわっていることが見て取れます。8は地の数の中では最大のものでもなければ、易でいう老陰の数でもありません。しかし、国生み以降の記神話の舞台は天上の高天原ではなく地上であります。地上とは天地間のことであり八卦の世界でもあります。八卦の八という数が主役となる世界と見るべきなのかもしれません。
 さて、前章では10を8と数えたり、12を10と数える話をしましたが、この段では記神話が10を8と数えてもいるようです。神話はEのくだりの10神を"天の鳥船より豊宇気毘売神まで併せて8神"としています。なお、天の鳥船は鳥之石楠船の別名です。そこで、Aの10神を8神とすれば、合わせて36神となります。さらに、Cの4神のなかでDの神々を生む大山津見神鹿屋野比売神を男女一つの神とみなせばCは4神となり、すべて合わせれば記神話のいう35神となります。
 35神の35という数は、3と5という天の数で出来ていますが。神話の流れが、天上の神が生まれ、そして地上での神が生まれるとなっているように、天の数の3と5から地の数の8が生まれるというシナリオを「記神話」は考えているのかもしれません。
 八卦は天地間の事つまり地上での現象を問うものです。そういう意味では、八卦は天上には存在しないともいえます。それになにより、八卦の八は地の数の8です。そういう意味では天上には四方も存在しないのかも知れません。天上にあるのは五方です。五方は、地上にもありますが、古代の日本人、特に天武以降の人々は五方よりも八方を用いたように見受けられます。