古代雑記

一億分の一の検証  昭和枯れ芒、素人のつぶやき。

八卦の生成と記紀神話 太安万侶の道標、その14

陰陽には善悪も醜美も喜怒もありません。しかし、森羅万象を陰陽二元論で説く古代人は、万物を陰と陽に分けました。したがって、善をも悪をも醜をも美をも当然分けたはずです。そして陰をも陽をもです。

八卦の生成と記紀神話

 陰を陰と陽に分ければどうなるか、言葉をかえれば "陰が陽に転化した、あるいは陰が陽を産んだ" となります。卦図を用いて説明しますと、①☷→☳と②☷→☵と③☷→☶の三つの状態を指します。これは坤が、①では一番下の陰爻が陽爻に転化して震に、②では真ん中の陰爻が転化して坎に、③では一番上の陰爻が転化して艮になったものです。ちなみに易ではこの変化する爻を変爻と呼び、それが陰爻である場合は老陰、陽爻である場合は老陽と呼びます。そして、この変爻があることによって一つの筮占から本卦と之卦(シケ)という二つの占い結果が出てくるようになるのです。そこで、改めて易の卦図について少し説明を加えておきましょう。
f:id:heiseirokumusai:20170703205408g:plain  左図14aは筮占より得られた卦を示したものです。左端の1から6までの数は爻の順位を示す数です。普通は1は初、6は上と表記します。下から数えるのは、机上や前面に卦を展開した場合、自身から見て一番近い手前が下になるからです。又そのために、1から3までの爻を下卦あるいは内卦と呼び、4から6までを上卦あるいは外卦とも呼びます。なお、易の操作、筮占は爻を導き出す為のもので、この筮占からは4種類の爻が得られます。老陰、老陽、少陰、少陽の4つがそれです。老陰・老陽は変化可能な爻、少陰・少陽は変化不可能な爻です。f:id:heiseirokumusai:20170703205952g:plainただ、「─」と「--」という二種類だけの爻の記号では老少の区別はできません。それで、易ではこれらを区別するために新たな記号を加えたり、数字や漢字等を用いて表してもいます。→図14b参)
 さて、筮占により64卦のうちの地という卦が出ました。これが本卦です。しかし、初爻に変爻の老陰があるために卦が変わってしまい64卦のうちの復という卦になります。この変わって之(ゆ)く卦の意からこれを之卦と呼ぶのだそうです。なお、占断には本卦と之卦を踏まえ、本卦の変爻の辞に拠るとされています。ところで、易の卦の上卦を無視すると八卦の坤が震に変わったのと同じことになります。そして、坤もそのまま残ります。つまり、陰が陰と陽に分かれたということです。どうやら、八卦の生成には変爻の思想がかかわっているようです。

八卦生成の順序

 八卦は陰と陽の二つだけの組み合わせが生み出すものです。したがって、2進数表示が可能となります。ただし、2進数表示とは2進数で数えること、つまり一つずつ加算していくことで、必ずしも都合のよい順で揃って生成するわけではありません。

1 2 3 4 5 6 7 8
0 1 2 3 4 5 6 7
000 001 010 011 100 101 110 111

 左の表のAは三爻の組み合わせを二進数で表したものです。000から始め1づつを加算していって111になるまでを示しています。10進数では0から7になります。Bは0を陰、1を陽とした場合の八卦図と八卦名です。これを見ますと、兌と艮が小陰あるいは小陽それぞれのグループから外れています。また、加算展開ですので元の値に戻っての循環もありません。ただ、二進数には1に1を加えると桁上がりをして0になる、ある意味での変爻に似た働きがあります。とは申しましても、0に0を加えても桁上がりはありません。
f:id:heiseirokumusai:20170703210153g:plain  左図14cは、内容や形を少し変えてはいますが、八卦の解説書などでよく見かける八卦生成の木構造図と同じものです。本来の木構造図は、古来からの易の解説文献「繋辞伝上」にある太極→両儀四象八卦という八卦生成の過程を、南宋朱熹(1130~1200)が陰陽の爻記号を用いて説いたものを図としたものです。ただ、ここではその図を基に次の二つの観点から少し変形を試みています。
 先ず、節点から陰陽二俣の枝の出る木構造とする事。次に、八卦の順序を2進数に合わせる事。この二つです。前者は、陰からも陽からも陰陽が生まれるという一貫した流れをこの木構造に持たせる為の必要不可欠な原則です。後者は、というよりも後者を成立させるには、爻を上に重ねるのではなく下に差し込んでゆく必要があります。これは筮占によって初爻から上爻へと爻を導き出していくやり方とは逆になりますが、ここでの爻は導き出した爻ではなく最初からある変爻ですので差し込んだということにはなりません。そして、その最初からある変爻とは太極のことです。
 図14cを文章に直しますと、"太極から両義が生まれ、太極と両義から四象が生まれ、太極と四象から八卦が生まれる" となります。これは、"太一から水が生まれ、太一と水から天が生まれ、太一と天から地が生まれる" とする⒓章で述べた竹簡文書「太一生水」と同じ古代の論理に合わせたもので、太極→両儀四象八卦をそのように解釈しても齟齬は出ないと思います。なお、原文では "易有太極 是生兩儀 兩儀生四象 四象八卦" となっていて、"太極と" という言葉はありませんが、「荘子斉物論」に "一と言えば一と一と言った言葉とで既に二であり、二と言えば二と二と言った言葉とで既に三である" といったようなことが書かれています。荘子は、1は100よりも大きい、あるいは同じであるとも説いているのですが、それには言った言葉を補えとも言っているのです。つまり、古代にはそうした考え方もあるのです。
 さて、陰陽両儀を生じる太極は変爻です。変爻ですから老陰か老陽のどちらかとなりますが、太極の最初はどちらでもかまいません。しかし、両儀の陽以降は老陽としての太極が残り、両儀の陰以降は老陰としての太極が残ります。そして、太極が残るのは常に初爻の位置です。太極とは荘子の謂う "何々といった言葉" のことなのかもしれません。
 素人の考えを長々と述べてまいりましたが、木構造以外は一試論であり一私論でもあります。しかし、易の解説文献「易伝」は易経成立後に出来たものです。したがって、其処にはこじつけや無理強いがあると見るべきでしょう。それはある意味での誰かの試論であり私論であると思います。さて、そこで今度は古代の素人の考えを見てまいりましょう。

独り神と男女一対の神
太極 両義 四象 八卦
天之御中主 高御産巣日 宇摩志阿斯
訶備比古遅
宇比地邇
須比智邇
天之常立 角杙
活杙
神産巣日 国之常立 意富斗能地
大斗乃弁
豊雲野 於母陀流
阿夜訶志古泥

 左は「記神話」、"天地(あめつち)の初めの時" の段に登場する神々、天之御中主から伊邪那岐伊邪那美までの神を太極・両義・四象八卦の枠組みの中にそれぞれの意味する数の分だけ出現の順序に従って割り振っていったものです。八卦の枠に伊邪那岐伊邪那美が収まっていませんが、「紀神話」の本文と一書の第一では男女一対の神は4組8柱となっており、伊邪那岐伊邪那美はその二例の中に常に含まれています。
 なお、「紀神話」では、本文の他に一書の第一、一書の第二、そして次の箇所の一書の第一の都合三例の他書からの引用があります。その三例のうち、前から二例は親子関係を述べたもので、おそらく神世七代に関しての引用だったと思われ、男女一対の神についての引用例とはできません。したがって、男女一対の神は4組8柱というのが「紀神話」の見解と見えます。ただ、本文と最後の一書とでは4組中の一組が異なっているようです。その異なっている一組というのは、本文では「記神話」のいう意富斗能地と大斗乃弁の組がそれであり、一書では角杙と活杙の組がそれに当たります。
 「紀神話」は読む限りにおいては八卦の枠に都合のよい4組8柱なのですが、もしかしたら、一書には意富斗能地・大斗乃弁が、本文には角杙・活杙がそれぞれ抜け落ちていると考えなければならないのかもしれません。しかし、あるいはそれよりも一組を抜かしてでも4組8柱にしなければならなかったと考えるべきなのかもしれません。
 ところで、『日本書紀』の冒頭には、"古、天地未だわかれず、陰陽分れざりしとき" とする一文があります。これは『淮南子』からの引用とされていますが、『淮南子』ではそれに続けて、"四時未だ分れず、萬物未だ生ぜず" とあるのだそうです。これは、太極(天地)、両儀(陰陽)、四象(四時)、八卦(萬物)に即置き換わるもので、「紀神話」の4組8柱は八卦に合わせたものと言えなくもありません。もしそうだとすれば、「記神話」は逆に一組多いということになるのかもしれません。実際、『古事記』の序文冒頭に

 臣安万侶言さく、それ混元既に凝りしかども、気象いまだ敦くならず、名も無く為も無く、誰かその形を知らむ。然れども乾と坤と初めて分かれて、参神造化の首と作り、陰と陽とここに開けて、二霊群品の祖となりたまひき。
《角川文庫・新訂古事記武田祐吉訳注》

とあるように、『古事記』にも陰陽八卦の影響が色濃く反映しています。無論、安万呂の序文と稗田阿礼が詠んだ天武時代の本文とでは時代の隔たりはありますが、天武は天文遁甲の占いを能くしたともいわれています。そう、そうした占いの基本は陰陽八卦にこそあるのです。
 では、「記神話」に多い一組とはどれを指すのだろう、意富斗能地・大斗乃弁か、それとも角杙・活杙か。実は、伊邪那岐伊邪那美がそれになります。周知のように、伊邪那岐伊邪那美は「美"斗"のまぐわい」の神でもあります。つまり、伊邪那岐伊邪那美は意富"斗"能地と大"斗"乃弁の別名とも読み取れるのです。神話では、意富斗能地・大斗乃弁の次に於母陀流・阿夜訶志古泥がきます。この於母陀流・阿夜訶志古泥を"美斗のまぐわい"の段の表現に置き変えると、「あなにやし、えおとめを」・「あなにやし、えおとこを」となります。"まぐわい"は"目合"ともでき、じっと於母(面)を見合うことでもあります。於母陀流は「紀神話」では面足と書いています。
 思うに、伊邪那岐伊邪那美の神は次の段の国生みや神生みの神話の主役であります、あるいは意富斗能地・大斗乃弁をこの段の話しに相応しい名前に改めたものか、あるいは本来別々の話であったものを組み合わせたために一組分多くなってしまったものか、それとも別天津神を5柱とし、神世を7代としたために一組分多くなってしまったものか、いずれにしても伊邪那岐伊邪那美と意富斗能地・大斗乃弁とを同一と見做せばすべての神々がすべての枠に過不足なく収まります。そしてそうなりますと、天之御中主から豊雲野までの7柱を「記神話」が "独神(ひとりがみ)"と呼ぶことにも納得が行くことになります。
 なお、「記神話」が八卦の枠外の7柱を"独神"と呼ぶのは、男女一対の神あるいは陰陽一対の神に対比してのものではなく、八卦として成り立っていないという意味での呼び方と見えます。つまり、八卦として成り立てば、易としても成り立つからです。なぜなら、易は常に八卦二つを対として成り立っているからです。

聖数に貪欲な記神話

 図14cの基となる図は12世紀南宋の頃の考えによるものですが、天武や安万呂の時代にもこれと良く似た考えのあったことが記紀神話から伺えるようです。ただ、前章でも述べたことですが、「記神話」はここでも数あるいは数の流れにこだわっていて、こうした考えを活かそうとしていないようにも見えます。そのことは、7柱の独神を神世七代とすればすこぶる簡単明瞭となるものを、最初の3柱を参神造化、さらにはこれに2柱を加えた5柱を改めて別天津神と呼び、最後は互いに性格の違う2柱の独神と5組の男女一対の神とをわざわざ組み合わせて神世七代と呼ばせていることからもうかがえます。また、ここでの数あるいは数の流れは、3・2・5・2・5・7で、これはおそらく3と2とで5、5と2とで7というものだと思います。加えて、3・5・7はいわゆる聖数で、天の数でもあり陽の数でもあります。
 そこで、『古事記』冒頭、"天地の初めの時" を数に置き換えてみますと、天は一、地は十となります。一は太一、つまりは太極。そうなれば、十は八卦とする他はなく、八卦は5組10柱となります。あるいは、「記神話」はそう考えて八卦枠に10柱をあてがったのかもしれません。無論、8を10と数える法則など何処にもありはしませんが。しかし、聖徳太子が制定した冠位十二階、大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智の中の、仁、礼、信、義、智の五つは儒教や五行での五つの徳、つまり五徳と呼ばれているものです。したがって、本来ならこの冠位は十階であったはずです。しかし、太子はそれらの総称の徳をも加えて十二階としました。つまりは10を12と数えたのです。
 八卦は天地間の事物事象すべてを表しているとされています。しかし、八卦の八方位は四方八方の八方位で天と地への方位はありません。したがって、天地への二方位を加えて十方位とすることによって、八卦は初めて天地間の事物事象への方位を整えたことになります。つまりは8を10と数えることになったわけです。
 一を聞いて十を知る。一と言えば、一と一と言った言葉とで既に二である。『論語』や『荘子』にある数を用いた喩え話です。ところで、『老子』に、"道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず" とありますが、この万物生成論、太極→両儀四象八卦という八卦生成論とそっくりに見えませんか。この『老子』については⒒章でも取り上げているのですが、今回はこれを八卦から解いてみましょう。


  太極 両儀 四象 八卦
生数 1 2 4 8
爻数 0 1 2 3
老子 1 2 3

 左は、八卦と万物の生成論をそれぞれの数に置き換えてみたものです。この表から八卦の爻数の欄と老子とのそれが全く同じだということが見て取れます。また、八卦が三爻によって天地間の事物事象すべてを表している事が、『老子』の万物を生み出す数が三で留まっている事の最大の理由のようにも見えます。三は聖数七・五・三の中では一番小さな数ですが、『荘子』が三よりあとは誰にも数えきることが出来ないと言っているように、三は人が捉えることのできる最大の数でもあります。そして、三爻よりなる八卦の八もまた最大の数といえます。