古代雑記

一億分の一の検証  昭和枯れ芒、素人のつぶやき。

太安万侶の道標、その11。

 藤原京が教えるように、古代日本は古代中国の理想を忠実に実践をしてきた観があります。しかも、安万呂の道標が示すように、陰陽思想は日本独特の発展を既にこの時点で遂げてもいます。思うに、こうしたことが可能だったのも陰陽思想が日本の自然の理に適ったものだったからに他なりません。
 前章では陰陽の基本ともいう手順で、地を分割しました。次いでというわけではありませんが、今度も同じような手順で天を分割してみましょう。

方は分割し、円は集める

 井田制も条坊制もその基本は方形にありました。方形は陰の形ですが、生み出す数は陽の9です。井田が9区画、条坊が(9×9)区画というふうにです。ところで、易では9の数は陽爻を表わします。また、陰爻を表わす数は6と決められています。そうすると、陽爻の9を方形の陰の形が生み出した以上、陰爻の6を生み出すものは円形の陽の形ということになります。つまり、方形の整列が陽数を生み出すのであれば(下図bの左、下図cの右)、円の整列が陰の数を生み出すはずです(下図a、下図bの右)。
f:id:heiseirokumusai:20170612051144g:plain  6を生み出す円の並べ方としては、a図の①から⑥までの並べ方が最も最小の形であります。しかし、これには井田の中央に当たるものがありません。一段増やして⑩まで並べれば⑤が中央となりはしますが、残りが奇数となり陰陽の対とはなり得ません。それになにより、この形は円とはかけ離れていますし最小形でもありません。また、地の基本形井田に擬することも出来ません。したがって、この場合はb図の右が正解ということになります。この右図は最小の個数で陰爻の数6を含み、形も天の基本形円に近いといえます。そして、これらをさらに円に近い形に並べれば(c図左)、49+1本という易占で用いる筮竹の数あるいは大衍の数も生まれてくるのです。つまり、b図の右を発展させるとc図の左になるわけです。これは井田を発展させて条坊を作り上げたのとまったく同じ手順です。同じ手順で、それぞれの特質を生かし、しかも、論理的にも納得の出来る結果が出せる。古代人がこうした結果を見逃すことはなかったでしょう。それに、さらなる論理的にも納得が出来る結果がc図の左右より導き出せもするのです。
 c図左は円という陽の集まり、つまりは天です。これを一つの世界と考えた場合、右図の方という陰の集まりつまりは地の世界がそうであったように、当然、この天の世界も陰と陽が対として存在することになります。地方の右図の場合は中央の一区画を減らすことによってこれを成立させました。天円の左図の場合は、逆に一区画増やすことによってこれを成立させることになります。方形の集まりとは違って、円形の集まりは隙間だらけです。49個の円の要素を取り除けば大きな一つの天の形、円の要素が残ることになります。これを加えれば50という陰陽調和の数が出来上がります。この50という数は、易経のいう大衍の数でもあります。このような結果が、やはり古代人にとっては無視の出来ないものであったと考える他はないでしょう。
 無論、こうした結果は図形が持つ性質の一つに過ぎず、陰陽とはかかわりのないものではあります。しかし、陰陽思想の究極は、陽からも陰陽が生じ、陰からも陰陽が生じるとする考えにあります。この考えは、太陽の動きによって昼から夜つまり陽から陰に遷り変わるという自然界の消長盛衰だけでは説明のつかないものです。例えば、陰(雌)からは陰陽(雌雄)は生まれますが、陽(雄)からは何も生まれません。ここにはどうしても抽象的な思考が入り込まざるを得ないのです。当時の抽象的な思考の最たるものは数の計算と幾何です。例えば7は陽数ですが、これを陽数3と陰数4とに分けることが出来ます。つまり陽から陰陽が生まれたのです。したがって、「記紀神話」で男神伊邪那岐命が多数の神々を生むとすることに何の不思議もありません。また、陰の方形同士、陽の円形同士を陰陽の対と見なすことにも何ら矛盾は生じません。

数と形

 古代を野蛮な時代とする人がいますが、抽象に関する限り現代と大差はありません。例えば、『老子』に、道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず、とあります。これを現代は、こうしたことを限りなく続けることが万物を生じることに繋がるなどと解釈していますが、三が四を生じ、四が五を生じ、さらに‥‥と続けみても、生じるのは抽象の数であって物ではありません。『老子』が三が物を生じると言っている以上やはりこれは物につなげなくてはなりません。
 抽象の数が最初にとる物の形は幾何です。今日の幾何では、一は点を表し二は直線を表わします。そして、三は三角形を表わすことになります。三角形は抽象に於いても現実に於いても形つまり物の最小単位なのです。したがって、この場合現代的な解釈によって、物の最小単位の三角形から万物が生まれるとするのが最も適切なのです。それに、古代においては数と形とには密接な関係があり、古代人が数を形として捉えていた節もあるのです。
f:id:heiseirokumusai:20170612051727g:plain  「漢書律暦志」に、その算木の制度は口径一分、長さ6寸、それを271本用いれば六角形をなし、一握りとなるとあります。
 算木は紀元前から中国にあった、竹や木で出来た数学の計算用具です。271本という数は45×6+1= 271と出来、一本の算木を中心に45本の算木で出来た正三角形六個が取り囲んでいる形を示しています(ハ図)。ロ図は算木を正三角形に積み上げた各段ごとの総数を右端に示したものです。これは、いわゆる俵積み算の説明で使う図形と同じです。三段で6俵。9段で45俵。つまり数を形で捉えるという方法です。しかも、9は陽爻の数、6は陰爻の数ですから、9段の6個では270となり、さらに中心の一本とで271となります。しかもこの271は、2+7+1とでき、さらに2+3+4+1つまり1+2+3+4= 10とすれば、「漢書律暦志」のいう天地の五方位が完備して終わる数"十"とすることが出来るのです。また、これは5を中心とする正三角形の俵積みの形でもあります。
 また「律暦志」には、算によって事物を計り数え、生命の道理に順うともあります。偶奇陰陽を備えた数や幾何図形は事物や道理を推し測るにはうってつけの道具ともいえるものなのです。計算に算木、易占に筮竹。易の最小単位は八卦八卦は三爻よりなります。三や三角形は事物や道理の最小単位でもあるのです。
 今日、数学も幾何学も古代に比べ数段の進歩はありますが、その基本となる抽象の概念に変わりはないのです。また、古代も現代も抽象と現実とを繋ぐ役割を数と幾何が担っていることにも変わりはないのです。古代思想とはいえ陰陽五行や八卦は論理的完成度の高い思想といわねばなりません。論理的完成度が高いからこそ、後進地域の日本に根付くことが出来たと考えるべきです。

地は分割し、天は一つに集める

 最後に、天即ち陽を分割したとは言いましたが、正確には、陽は寄せ集めると言うべきかも知れません。なぜなら、陽は2分割出来ない奇数でもあり、寄せ集める他はないからです。それに、奇数を寄せ集めれば、偶数にも奇数にもなります。一方偶数は、2分割することにより偶数にも奇数にもなりますが、寄せ集めただけでは偶数にしかなりません。したがって、方(地)は分割し、円(天)は集めるということになります。
 皇極紀元年の条の最後に、聖徳太子の娘上宮大娘姫王が『天に二つの日無く、地に二人の王無し。…』と言ったとあります。確かに、天には二つの日はありません。しかし、地には多くの王がいました。思うに、世界即ち地を統一即ち集めることは、アレクサンダーにもチンギスハンにも難しかったという事なのでありましょう。