古代雑記

一億分の一の検証  昭和枯れ芒、素人のつぶやき。

安万呂の道標、その1。

まえがき
 『記紀』を探る上で必要と思われる古代人の思考と連想の流れを、一億分の一の立場からではありますが少し述べたいと思います。ただし、ここで取り上げる思想とは広い意味での宇宙観であります。古代人は、この宇宙の現象を陰と陽の消長盛衰で捉え、万物の変化を五大元素の相生相剋で表せることを見い出しました。
 なお、本誌を読み進める中で既存の文献資料とは異なる記述があったりすると思いますが、それは私自身がその最初の古代人の立場に立って連想を推し進めた結果のものです。思いますに、理解しづらい文献というものは、長い歴史の流れの中で文献が文献を生み落とし、歴史の淀みの中で形を変え成長したものです。それを理解するには、その元となったと思われるものを先ず見つけ出し、それに自身の連想を働かせるのが一番良い方法だとするのが私の考えです。そして、首尾よくその連想の結果が出たならば、それを古代人の本来の考えとするべきであるとも考えております。

遺跡に残る思想
 古代人の思考や思想を知る最も手軽な方法は『記紀』やその他の古典等を読むことですが、実は遺跡からも簡単に知ることが出来るのです。例えば藤原京、日本で最初の条坊制の都ですが、周礼が説く思想によるものとされています。図1の左がその原理図です。九等分した方形の区画f:id:heiseirokumusai:20151028211736g:plainの中央を宮殿とし、それを八つの隅が取り囲むとする形です。八隅知之  吾大王(やすみしし わがおおきみ)と万葉集等で歌われている八隅はこの八つの隅のことです。この形は古代中国の世界観で、世界や中国全体を九つの州で表したり、井田制という土地制度等の理想として文献のなかで語られています。また、この理想形は、八方位に五行思想の中央を加えた右の図の形でも表されます。古代中国や記紀の時代の日本を語る場合、五行と陰陽の思想無くしては何も語れません。

遺跡に残る道標 下図は古代日本の中心大和を取り巻く陰陽五行の道標とでもいうべきものです。名づけて安万呂の道しるべとしました。なぜなら、多神社が陰陽五行の要、さらには大和全体の要とでもいう位置にあるからです。すなわち、禊のために神社の裏の飛鳥川の流れの中に立てば、東に三輪山を拝し、南に畝傍山を拝し、南西に葛城・金剛の峰を拝することが出来るのです。そして、なによりも、法隆寺、多神社、宮滝が一本の線上に連なってもいるのです。加えて、藤原の宮、大官大寺、奥山久米寺、飛鳥坐神社、船石遺跡、岡寺がこの線の近辺に張り付いてもいます。
 多神社と『古事記』、思うにこの二つは、安万呂が未来へ残した古代への道標なのです。
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 言い過ぎかもしれませんが、大和のすべては多神社より始まる。言ってみれば多神社は、老子の道、八卦の太極です。ここに多氏の安万呂が太を名乗る理由があるのです。さすれば、安万呂の道しるべに従い陰陽の風にふかれてみるのも一興かと。

 斑鳩東方朔 ≪陰陽の風 01≫