昭和は遠くなりにけり

古代に思いを馳せ、現在に雑言す。・案山子の落書・

・パズルる邪馬台国

§5.投馬國を取り除け。

周知のように、倭人伝は魏志の東夷伝の中では意外とも言えるほど字数の多い記事内容となっています。このことは陳寿が倭を特別視していることの表れと見えます。従って、前回で述べたような陳寿の意図があるとしたとしても、強ち見当外れとはならないはずで…

§4.陳寿の設計図。

「捨てる神あれば 拾う神あり」と申しますか、亡国の民陳寿にとって晋は正に拾う神そのものだったようです。陳寿にとって『三国志』あるいは『魏志』を書き上げることが晋への恩返しだったのかも知れません。 『魏志』は30巻。「魏志倭人伝」はその30巻中の最後…

§3.奴國は伊都國。

最近、邪馬台国に関しての新しい知見が得られなくなりました。それは、古代史ブームが去ったということにもよるのでしょうが、もしかしたら新たな発掘の成果待ちという歴史家の消極的な研究態度によるものも又あるのではないかと思ったりもします。 ところで…

§2.漢の倭の奴國はなかった。

例えとしてはどうかとは思いますが… 先ずは始めましょう。 大和は本来奈良盆地の東南地域だけを指しての呼称でした。それが時代が降るとともに拡大されて、先ず奈良県全体を指す呼称へと変わり、そして最後は大和民族という呼び方があるように日本の国を指す…

§1.奴國を取り除け、戸数は語る。

邪馬台国問題は、煎じ詰めれば「魏志倭人伝」そのものの問題です。どう解釈するかということも大事ですが、忘れてならないことは "「魏志倭人伝」は陳寿の作ではあるが、陳寿の見聞録ではない "ということです。つまり、「魏志倭人伝」は他者の手になる資料…