古代雑記

一億分の一の検証  昭和枯れ芒、素人のつぶやき。

日本書紀の中の道標。太安万侶の道標、その30。

不老不死や神仙の思想が古代の日本に入り込んでいることは、「記紀」やそのほかの物語等にそうした思想の産物としての物語が見出せることから確かなことと思われます。しかし、そうだからと言ってそれらの著述者がそうした思想を信じていたかどうかはまた別の…

竈の煙と天命。太安万侶の道標、その29。

ねたみそねみは人の世の常ですが、「記紀」はこれを臆面もなく取り上げて、うわなりやこなみや、挙句のはてには天皇までも揶揄し、あるいは誹謗したりもしています。聖帝仁徳もこれに関しては形無しのようです。 仁徳天皇について、太安万侶は序文に 烟を望…

雄略と宋。太安万侶の道標、その28。

専門家に解けない謎は素人にも解けない。それが一般的な常識というものなのでしょうが、素人からすれば、専門家に解けない謎は素人でなければ解けない、というのが常識なのです。 私事で恐縮ですが、私はかつて友人と一人の女性を張り合ったことがあります。…

秦氏の出自。太安万侶の道標、その27。

地震に大雨、そして争い。ある日突然住み慣れた土地を離れなければならなくなる時があります。古代においても現代においても世界のどこかの一角で常に起こっている悲しい歴史の繰り返しでもあります。歴史は、我々に何を教えようとしているのだろう。 古代は…

船氏と大化。太安万侶の道標、その26。

史部の設置は雄略の時代に遡ります。雄略紀には何人かの史の名が載ってはいますが、史の任命記事はありません。史の任命記事の初出は欽明紀にあります。欽明14年、王辰爾が船史の姓を賜ったとあります。また、同30年、王辰爾の甥の膽津が白猪史の姓を賜った…

船氏の道標。太安万侶の道標、その25。

古墳は巨大なモニュメントである。しかし、古墳が我々に語りかけることはなく、大きな沈黙のままに横たわっている。我々に語りかけるのは、決まって歴史家であり考古学者でありそして政治家である。しかし、誰の墓かと尋ねれば、政治家以外は決まって沈黙を…

大王の系譜を篩う。太安万侶の道標、その24。

すべての物事を陰陽的に捉える。これは決して好ましい態度ではありません。しかし、小さな砂粒にさえ影があるように、物事は意外なほど陰陽的に出来ています。 さて、陰陽は捉えかたによっては相反するものが同時に存在して一見矛盾しているように見えます。…

王朝の入れ物、大王墓。太安万侶の道標、その23。

道標は迷うことなく目的地に着くためのものです。そのためには先ず目的地をはっきりと決める必要があります。私の当面の目的地は見瀬丸山古墳です。そのためには、とにもかくにも河内大塚山古墳にたどり着く必要があります。そして、そのためには大仙陵から…

古墳群の中の道標。紀の中の道標。太安万侶の道標、その22。

古墳の年代を決めるのは副葬品である。副葬品の中で最も有力視されるのが、土師器や須恵器である。では、土師器や須恵器の年代を決めるものは何か。 最も確実な方法は、年代のはっきりしている奈良時代の土師器や須恵器から遡ることである。しかし、仮にそれ…

古墳の分岐点。太安万侶の道標、その21。

『隋書』や『日本書紀』等が歴史の入れ物なら、墳墓は何の入れ物なのだろう。死者の歴史か、それとも単なる過去か。最近、年を取ったせいか過去のいやな記憶は思い出さなくなり、都合の好い記憶だけを選ぶようになりました。思うに、人の脳も何らかの入れ物…

歴史の分岐点。太安万侶の道標、その20。

太安万侶の道標、素人の案内でかえって道に迷ったかもしれません。実は、斯く申す私も陰陽の道に太安万侶の道標があるのか、それとも太安万侶の道標に陰陽の道があるのかが分からなくなってしまいました。しかし、それはどちらでも好いことです。歴史の道を…

陰陽という入れ物。太安万侶の道標、その19。

古代人はすべてのものを陰と陽とに分けました。転じれば、すべてのものが陰と陽とに分かれるとなります。前章では太陽を陰と陽とに分けて、八咫烏と金鵄をそれぞれ太陽と月とにしました。それなら、月を陰と陽とに分ければどうなるのか。あるいは、そう皮肉…

朝廷を形作る数。太安万侶の道標、その18。

十や百には、充分あるいは一杯という意味での言葉、十分や百足るがありました。8はどうでしょう。今風には、腹八分目に医者要らずでしょうか。8には、丁度好いという意味もあるのかも知れません。なにせ八卦占いは丁度好いのに限りますから。相撲の "ハッ…

神仙、風門がつなぐもの。太安万侶の道標、その17。

とにもかくにも、8は大きな数を表わす。また、そうした意味で古代人がこれを使ってきたことは確かなことです。しかし、古代には百足る、あるいは百足らずという言葉があります。そして何よりも、十分という言葉が今日にあります。そもそも現実の場面では、…

形としての8。太安万侶の道標、その16

今日、いや昔から我々は8を末広がりの縁起のいい数として捉えています。しかし良く考えてみれば、これは八という漢字が大陸から伝わって以降のことであり、日本古来からの捉え方ではありません。また、「記紀」にしても8を、八十、八十万、八百万といった、…

八卦と8。太安万侶の道標、その15

造化三神に別天津五神、果ては神世七代。「記神話」は欲張りである。それにひきかえ中国では三皇五帝で終始しています。 思うに、太極と両儀とで簡単に三神が出来ますが、四象を五神とすることは簡単には出来ません。「記神話」が苦労をしたことだけは確かでしょ…

八卦の生成と記紀神話 太安万侶の道標、その14

陰陽には善悪も醜美も喜怒もありません。しかし、森羅万象を陰陽二元論で説く古代人は、万物を陰と陽に分けました。したがって、善をも悪をも醜をも美をも当然分けたはずです。そして陰をも陽をもです。 八卦の生成と記紀神話 陰を陰と陽に分ければどうなる…

八卦の象徴と三爻の中の陰陽 太安万侶の道標、その13

八卦のそれぞれの自然の象徴、天、水、山、雷、風、火、地、沢が中国の地勢に適った方位に組み合わされていることは前章で述べました。したがって、そのほかの象徴、家族や性情や身体等の組み合わせにおいても無理のない関係が見出せるはずです。そこで、今…

八卦方位図が示すもの。太安万侶の道標、その12。

安万呂の道標に従って思うままに進んではまいりましたが、不手際や説明不足、さらには書き漏らし等が目立ってきているようです。そこで、今回はそれらの中でも特に矛盾めいた事柄について少し補足をしておきたいと思います。 八卦方位図と自然 陽と揚。陰と…

太安万侶の道標、その11。

藤原京が教えるように、古代日本は古代中国の理想を忠実に実践をしてきた観があります。しかも、安万呂の道標が示すように、陰陽思想は日本独特の発展を既にこの時点で遂げてもいます。思うに、こうしたことが可能だったのも陰陽思想が日本の自然の理に適っ…

安万呂の道標、その10。

石舞台古墳は飛鳥天皇陵か 天円地方という言葉があります。古代の中国人が、天は円く地は四角いと考えたことから生まれた言葉です。しかし、古代人はどのようにして、天は円く地は四角いとする考えに至ったのでしょう。また、この考えを、古代の日本はどのよ…

安万呂の道標、その9。

多氏と秦氏、その3 多氏は神武直系の皇別氏族です。神武記の系譜は、多氏一色で塗りつぶされているといっても過言ではありません。いってみれば、日本全国津々浦々に多氏がいるということです。秦氏もまた、多氏に劣らず日本全国に居を構えています。このこ…

安万呂の道標、その8。

多氏と秦氏、その2 古代人はあらゆるものを陰と陽とに分けました。同じものをもです。ものには裏と表があります。太陽が山の東に昇れば、山の西側は影となります。しかし、太陽は時間と共に移動します。太陽が西に傾けば、今度は山の東側が影となります。同…

安万呂の道標、その7。

多氏と秦氏、その1 前節で、田原本町秦庄と田原本町多とを組み合わせることで太秦が生まれました。これを不思議と感ずるよりも、馬鹿げていると思う方のほうが多いと思われます。そこで、もう少し付け加えておきましょう。 太秦の意味するもの 多氏と秦氏と…

安万呂の道標、その6。

斎宮、笠縫邑、秦楽寺、そして太秦。 伊勢内宮は瀧原宮を遷したもの。瀧原宮は吉野宮を遷したもの。では、斎宮は如何なる宮を遷したものなのだろう。 これはそれほど難しい課題ではありません。というのも、伊勢内宮にしろ瀧原宮にしろ、その造宮の基本は、…

安万呂の道標、その5。

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山… 『万葉集』、巻第一の二番目に載る舒明天皇の歌です。香具山は、“とりよろう 天”と歌われるように、大和三山の中では特別視されている山です。これについては何らかの理由があるとは思いますが、今回は別の観点…

安万呂の道標、その4.

鬼門。陰陽を生み出すもの、陰陽を隔てるもの。 古代人は万物を陰陽に分けました。先天と後天もある意味での陰陽であります。道教と儒教、これも陰と陽との関係に置き換えることが可能です。古代と現代、これもまた然りでありましょう。そして最後に『古事記…

安万呂の道標、その3。

陰陽の狭間 安万呂の道標には二つの陰陽の狭間が出てまいります。一つは、見瀬丸山古墳と三輪山とを結ぶライン。もう一つは、法隆寺と聖武天皇陵とを結ぶラインです。このラインは北東あるいは南西に向かっており、それぞれの向きで鬼門もしくは裏鬼門と言わ…

安万呂の道標、その2。

二元論と五元素 古代人はあらゆる物を二つの元素に分けました。また、古代人はあらゆる物を五つの元素にも分けました。一見矛盾しているようにも感じますが、物には裏と表があります。言い直しましょう。古代人はあらゆる物を陰陽に分けました。無論、五つの…

安万呂の道標、その1。

まえがき 『記紀』を探る上で必要と思われる古代人の思考と連想の流れを、一億分の一の立場からではありますが少し述べたいと思います。ただし、ここで取り上げる思想とは広い意味での宇宙観であります。古代人は、この宇宙の現象を陰と陽の消長盛衰で捉え、…